働きたくないなら、才能を極めよう。
お金(労働)のストレスから自由になりたければ、「才能」によってクリエイションし、人にシェアする。
これしかないと思います。
どうして、「才能」によるクリエイション・創作でなければならないかというと、「お金はいいけど、心から取り組みたい仕事ではない」という場合、その職業そのものが、人生の精神的・時間的コストになるからです。
でも、ふだん、日常生活の中で「つい考えてしまうこと」、自然と、「すでにルーティンとなっていること」、「行動パターン・習慣の中にあるクリエイション(思考)」だったらどうでしょうか?
拘束感は全くなしに、価値を生産していることになります。
一日中それを考えていても・していても苦痛じゃないのなら、(実際には、1つのことじゃなくて、それが複数=パラレルに展開することになると思います。)そうして得られる対価は、「不労収入」と言っていいと思います。
反対に、世間一般の定義としての「不労収入」をもし得ていても、その仕事自体に真剣になれなかったり、好きでもない人と、お金の取引としてのみ付き合っているのだとしたら、実はこれは本当に苦しいこと — 孤独・分離を感じること — ではないか?と思います。
精神的・(何らかの時間は差し出すでしょうから)時間的コストが大き過ぎます。
(僕にはそんな経験はないものの、想像がつきます。)
こうした収入を目指すとき、『 目指すべき数式 』は、次のようになるはずです。
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「無意識的にやってしまうこと(思考・ルーティン・創作習慣)」が、「今後必要な人生のコスト」と同じか、それより上回ればいい。そのくらい夢中に、なればいい。
僕は、大学4年生からこれに取り組んできたのですが、「ちょっとした趣味・才能程度」では、この数式を満たせないように思います。
⠀ 才能をパラレルに展開させ、つなぐ。
野菜を複数用意して、カットして、加熱して、煮込んで、お料理にするように。
味を深めて、初めて、令和を生きられるだけの価値(お金)になるように思います。
だって今の時代、誰もが Instagram で、起業っぽいことが、できちゃうじゃないですか?
そんな社会においても、圧倒的・絶対的な価値 — 生きていくための金脈 — にまで昇華するには、作り込みが必須です。
会社勤めが主な収入源である場合、個人起業家の視点から言えば、「キャッシュポイントが会社(出勤後・退勤前)にある」ということです。
これが肌に合う人には、決して悪いことじゃないですが、ギフテッド・タイプには、それって非常にコスト・ストレスです。
わざわざ会社に行って、好きでもない人と関わって初めて、お金になるのですから。時間と場所に縛られて。。
また、「才能以外の、儲かる仕事」をしちゃった場合にも、やっぱりそれ(収入源)自体がコストになります。
特に、「誰でもかんたんにでき(売れ)ますよ!」というものほど、実は令和ではおいしくないのではないかな?なんて思います。
「誰でもかんたんに…」
それは競争過多になるし、差別化も難しい、ということになります。
アイデンティティーも、見失いやすいのかもしれません。
果たして、どうやって、“ 誰でもいい ” 中から、「選んでもらう」のでしょうか?
僕には分かりません。
そして何より、僕らの幸福感は、あなたらしいスキルやセンスを伴って交わす、人とのやりとり、精神的なつながりにあると思うのです。
才能というのは、お気づきの通り、僕らそれぞれの「内側」にあるキャッシュポイントです。
先日、NHKの『クローズアップ現代』で、生前のスティーブ・ジョブズが放送されていました。(2001年放送回)
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こんなようなことを、少年のような眼差しで、僕らに伝えてくれていました。
今の時代、「いいもの」に溢れています。
その中でも、価格競争を超えて(超越して)選ばれるものとは、
「ヤバいもの」
のように思います。
「いいもの」なんて、溢れているんだもん。
そして、その「ヤバい」は、
ひたすらに、才能を極め、重ね、深めた時、使命を貫いて、完成する
ように思います。
ラク、しようとせずに、楽しく、極めていこう。
あなたの才能で、ハイクオリティーな仕事をして、“ 不労収入 ” を得て、生きていきませんか?
そんなエッセンスは、ここにあります。
あなたの内なるスピリットと、共鳴を起こしてください。
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独学をご希望の方は、こちらの図書館にてどうぞ。
僕はこういうことを日々考えてしまうし、(それが次世代になんらかの形で貢献できたらいいなと思うし)こうしてまとめることで、すっきりするんです。笑 フローなんですね。
Matty
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