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中島飛行機ミッション [02]

日本における自動車メーカーの雄、株式会社SUBARU。
その発祥の地であるわがまち・群馬県太田市には、
かつてSUBARUの前身であった中島飛行機株式会社が存在していました。
創業者・中島知久平と彼が擁した技術者たちは、大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍へ、その技術力を注ぎ込んだ名機・一式戦闘機「隼」や「九五式水上偵察機」等を次々と送り出していったのです。

2022/06/01
マジカルソーン


No.2

中島飛行機ミッション【一式戦闘機】隼


東武伊勢崎線の駅のひとつ、太田駅。
上毛の地より延びる鉄路は、幾つかの乗り換え駅を経由して
遥か東京まで続きます。

太田駅ホーム。朝のひかり。

中島飛行機 太田製作所は、その名も太田市スバル町1-1の現在は株式会社SUBARU 群馬製作所本工場がある同地にかつて存在していました。
当時は陸軍の戦闘機を大量に生産していた中島の中枢ともいうべき工場でしたから、終戦まで半年という昭和20年(1945年)2月にはアメリカ軍による直接爆撃が行われ(2月10日の爆撃では死傷者なしであったものの、16日の爆撃では)多数の死傷者も出たのです。
市内では機銃掃射や爆撃の結果、壁にいまも銃跡が残る家もあるそうです。

総務省の次のページでは栃木県宇都宮市での戦災の状況が記されていますが、冒頭ほかで中島飛行機 太田製作所

アイビブリオにおいて次のページに公開されている文書でも、同年2月10日に中島飛行機 太田製作所へのB-29などによる編成部隊による爆撃により
500ポンドの汎用爆弾とM76焼夷弾が工場の大部分を破壊したと記されています。

THE ARMY AIR FORCES IN WORLD WAR II
Vol. 5 -- The Pacific: MATTERHORN to Nagasaki, June 1944 to August 1945
IV. STRATEGIC BOMBARDMENT FROM PACIFIC BASES
18. PRECISION BOMBARDMENT CAMPAIGN
(Edited By W.F.Craven & J.L. Cate)

https://www.ibiblio.org/hyperwar/AAF/V/AAF-V-18.html

※アイビブリオ Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AA


付近では当時の爆撃の凄まじさをいまに伝えるものが残されています。
太田製作所から500mほど離れた場所に、供養塔が残されていますが上半分が吹き飛んでいます。これはB-29による爆撃の結果であると古老からの聞き取り調査を行われた郷土史家の刊行物にも記されています。

半ばまで付近飛んでいる供養塔。

https://goo.gl/maps/vRmeMv7p3gPSDkG86


この中島飛行機 太田製作所が存在していた場所を
当時に思いを馳せつつぐるりと巡るのが本ミッション。
メダル画像はこの太田製作所で開発された太平洋戦争時中期までの主力機である一式戦闘機。愛称「隼」です。


ミッションのはじまりは、東武伊勢崎線の太田駅。

電車で訪れるのであれば、改札を出て左へ。

有志によってたびたびマルシェが開催されているようですが、ふだんは学生や通勤客の姿を多く目にする駅の北口。

駅を出たら東へ、北へと進みましょう。
ほら、近年建て替えられたSUBARUの群馬製作所西本館が見えてきます。

株式会社SUBARU 群馬製作所本工場

終戦までこの地で中島飛行機の戦闘機が開発され、生産されていたのです。
この地で誕生した機体が各地の蒼穹を天駆けたと思うと、感慨深いですね。

SUBARUの前を東西に走る道路・群馬県道2号前橋館林線は、その昔は
日光例幣使街道と呼ばれた道でした。

この道を挟んでSUBARUの反対側に、大きく赤地に白文字で「スバル最中」と書かれた看板が。

こちらが、全国のスバリストが憧れるとも伝え聞く銘菓「スバル最中」を販売しておられる伊勢屋さんです。

伊勢屋 本店
〒373-0026 群馬県太田市東本町24−23
9:00 - 19:00(水曜日定休)

スバル360を模した「スバル最中」

写真を撮影してもよいですか、インターネットでお店のことをご紹介して、美味しいのだと記してもよいですかとお店の方に尋ねると、満面の笑顔でよいよと快諾いただきました。

モカケーキと、メレンゲクッキー。
スバル最中だけではなく、ほかのお菓子もまじめなつくり。
これはインプレッサ最中?

今回購入したのはこの三品ですが、「サブロク焼き」は以前ingress友達にもらったことがあるので味は知っているんですよ。

どれもまじめに、丁寧につくっていますから本ミッションの途中で
伊勢屋さんに立ち寄ってみるのもよいですね。
Motor-Fan.jpのサイトに次の記事が掲載されていますが、伊勢屋さんは夏場にカキ氷も提供しているようです。
陽射しが強く暑い日に本ミッションをクリアするために太田を訪れるのであれば、伊勢屋さんでお土産にスバル最中を、店舗でカキ氷目当てでもよいかもしれませんね。

Motor-Fan.jpさん

カーセンサーさん



伊勢屋さんの前を、東へ、東へ。

すると栄町集会所のそばに、太田市教育委員会の名で建てられた説明版と石柱とが追分地蔵をはさむようにあるのを目にします。

コロナが流行って以来、2021年頃に撮影した追分地蔵でもなぜかマスクがかけられていました。以前は赤い毛糸で織られたマスクでしたが……。
一応太田市指定重要文化財のはずなのですが、地元のどなたかの信仰心のほうが勝っているのかな……。
2020年1月に撮影した追分地蔵はマスクをしていませんでしたので、そちらの写真でご紹介しましょう。

それでも帽子をかぶせられていますね・・・・・・。

この追分の地蔵は太田市の市指定重要文化財でもありますから、
公式サイトの詳しい解説をご紹介します。

追分地蔵の向かいには、カレーショップとラーメンショップが軒を並べていました。入店したことはありませんが、ネットで検索すると評判はそれぞれ上々のようです。

左がパールバティー。右がうしおととり。

本格インド料理レストラン
パールバティー

らーめん専門うしおととり  (群馬の情報サイト WeLove群馬より)

もとの中島飛行機 太田製作所があった場所をミッション経路にそって
それを囲むように歩きます。
近年西本館は建て替えられましたが、SUBARU群馬製作所では、ほかにもまだ2022年5月時点で工事が進められているようです。

続いてこの道を、ぐるっと囲むように歩いてゆきます。

そばには東武線の線路が走っており、時折電車が通過します。
この左手に沢山の工場が立ち並び、飛行機を生産していたのです。

SUBARUの工場があるのが、スバル町。
スバル町に存在するのは、SUBARU群馬製作所のみ。
歩けば、どれだけ広い工場敷地で飛行機が組み立てられていったのかが実感できると思います。

ぐるっと周り、歩き、太田駅の北に位置する公園まで辿りつけば本ミッションは完了です。

さぁ、太田駅へ向かいましょう。


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