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中島飛行機ミッション [01]

日本における自動車メーカーの雄、株式会社SUBARU。
その発祥の地であるわがまち・群馬県太田市には、
かつてSUBARUの前身であった中島飛行機株式会社が存在していました。
創業者・中島知久平と彼が擁した技術者たちは、大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍へ、その技術力を注ぎ込んだ名機・一式戦闘機「隼」や「九五式水上偵察機」等を次々と送り出していったのです。

大正時代のはじめから、終戦の年である昭和20年まで。
およそ28年の長きにわたり中島の飛行機開発は続きました。
当初は輸入戦闘機のライセンス生産から、やがては自社設計による戦闘機等の開発・生産。飛行機用エンジンの開発も手がけ、そして戦後はSUBARUをはじめとする数多の優良企業へと、その技術力は連綿と受け継がれてゆきます。

蒼穹を天駆ける中島の飛行機。

戦闘機は戦いのためにあり、争いはさまざまなかたちで悲哀をもたらします。戦争が行われることによって生じる悲哀はけして肯定されるべきものではありません。
しかし、中島飛行機創業者である中島知久平と、彼のもとに集った技術者たちが蒼穹へと飛行機を送り出した思いというものは、戦争に関わったものだからよくはないと、現代に生きる我々がいまの感覚で単純に断じることはできないものではないでしょうか。
その当時の世情があり、時代背景があってのこと。
あの蒼穹へ自分たちが作る飛行機を、より速く、より高く、と込めた技術力や情熱は、そののち戦後初の国産ジェット機「初鷹」の生産などへ繋がってゆくのです。

太田市金山城跡にある 中島記念公園内 中島知久平先生像 [36.316505, 139.377350]


その中島飛行機を生み出した土地を巡り、往時の中島の技術者と彼らが送り出した飛行機群に思いを馳せるミッションをNinatic 社のingress prime上で
作成しました。

お待たせしました。
それでは、ingress 中島飛行機ミッションをご紹介します。
すべてのミッションはANY ORDERです。
どのミッションをどの順番でクリアしても、見栄えある並びになるかと思われます。特に、「中島飛行機ミッション【生誕の地】」メダルをどの位置に並べるかでメダル一覧の表情がガラッと変化しますのでお楽しみに。

なお、現在18個のミッションがありますが、
継続して6ミッションが作成される予定です。


2022/06/01
マジカルソーン



No.1
中島飛行機ミッション【生誕の地】


押切町は、広い。
なにが広いかといえば、田があり畑があり、農地が広い。
この農業の地で中島飛行機の創業者である中島知久平は生を享けました。

知久平が生まれ育ったこの太田市押切町の空気を感じつつ、ingressのミッションを楽しんでください。
生家近くに両親のために建造されたという中島家の大邸宅は戦後GHQによる接収など紆余曲折を経て、現在は旧中島家住宅(太田市中島知久平邸地域交流センター)として一部が一般公開されています。また、こちらは平成28年(2016年)7月25日に国指定重要文化財の指定をうけています。

太田市 公式Website
旧中島家住宅(太田市中島知久平邸地域交流センター)
https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/2014-0507-1321-164.html

旧中島家住宅(中島知久平邸)
https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bunkazai/shinotabunka04nakajimatei.html

”中島飛行機ミッション【生誕の地】”と銘打った本ミッションは、前述の国指定重要文化財である旧中島家住宅と、その周辺を巡ります。
付近には中島家菩提寺である高野山真言宗大悲山 徳性寺もあります。

まずは、旧中島家住宅を訪れてみましょう。
こちらがWayspotになっています。

入場は無料で、その広い庭や重厚な造りの車寄せなどが観覧できます。
開館時間は、午前9時~午後5時。そして無料。月曜日休館。


門をはいって真っ先に目に入る車寄せ。

車寄せの豪奢な造りにまず驚かされますが、それだけではありません。
ほぼ建造当時のままのであると学芸員の方が教えてくださった内部の装飾は、公開範囲は限られているものの目を見張るものがあります。

車寄せの階段。

なんの気なしに先ほどのぼって内部へ入った車寄せの階段は、驚くべきことに継ぎ目のない御影石だそうです。使われている部材のひとつひとつが逸品なのです。

付随する広い庭。
内部には立ち入れないものの、庭から建物内部の客間や仏間、居間などを見学することが可能でした。

庭には、巨大なヒマラヤ杉が。
お天気がよい日に広い庭を散策するのだけでも気持ちがよいですよ。
Google Street Viewでご覧ください。

中庭と池(水ははられておらず)。


旧中島家住宅までは、2022年現在市営無料バスですぐそばの「旧中島家住宅」停留所まで行くことができますし、公衆トイレと40台駐車可能な駐車場も建物の前に備わっています。
健脚であればここまで自転車で。
公衆トイレ横の駐輪場に自転車を停めて建物見学に行くのもよいですね。

それでは、続いて中島家の菩提寺がある徳性寺方面へと向かいましょう。


近所のポールに取り付けられた案内板。史跡めぐりコース!目指すは徳性寺です。
旧中島家住宅で学芸員の方が快く渡してくださった。

中島家菩提寺までの道のりを記したコピー紙を、旧中島家住宅にて学芸員の方から頂戴しました。おそらく、見学にきたひとたちの多くが菩提寺までの道のりをゆくのでしょう。
見学者へ手渡すためにあらかじめ用意しているのであろうこのコピー紙には行き先までのルートが蛍光ペンで示されていました。

のどかな道が続きます。

のどかな道を行きますが、この道が整えられたのは昭和41年(1966年)。
提供 国土地理院による「1960/12/02(昭35)年」撮影の空撮写真によれば、
現在とは異なり、この道はこの尾島地区から北にある備前島地区まで
両側に田畑が広がるうねうねと曲がりくねった道であったようです。

国土地理院のサイトで空撮写真を検索し比較すれば、
旧中島家住宅がある尾島地区と、その北にある備前島地区との間の道路が
ほぼ真っ直ぐに整備されたことがわかります。

出典 国土地理院・太田市尾島地区 昭和35年
出典 国土地理院・太田市尾島地区 昭和50年


国土地理院利用規約に基づき明示。

押切備前島道路開通記念碑
裏面にも文字が刻まれていますが、判別がしにくい状態。

ふたつの地区を繋ぐ道が整備開通したことが嬉しかったのでしょう、
道のそばには記念碑が建立されていました。

またありました。おじま史跡めぐりコース! 観音堂。
昭和59年に改築された徳性寺の観世音堂。

旧中島家住宅からやや北西へ。
5分ほど歩けば、目的のWayspotのひとつである徳性寺へと辿りつきます。
訪れた際は生憎和尚の姿が見えずお話をうかがうことはできませんでしたが、墓所を含めて境内は清浄な空気に満ちていました。
境内には中島家墓所がひときわ大きな区画で存在しています。
中島知久平の墓は多磨霊園にありますが、ここ徳性寺の中島家墓所にも分骨されています。墓所の外からではありますが、拝んでまいりました。
ほかにも、境内には朱色も鮮やかな観世音堂や、観世音堂わきに大きな出羽三山供養塔が緑に隠れるように据えられていました。

さて、徳性寺をあとにして、道路を隔てたすぐそばの三柱神社(三社宮)へ詣でれば、本ミッションはコンプリートです。
天保10年(1839年)に奉納された石造りの鳥居や、生い茂る緑に隠れた石碑など小規模ながらもみどころある神社です。

ミッションコンプリート。

この付近ではお食事処はみつかりませんが、ここから北東に直線距離で500mほど進んだところに、
「利根の湯農産物直売所」があります。


利根の湯農産物直売所

そちらで季節のソフトクリームをいただいてみるのもよいかも知れません。
(火曜日定休日)

バスで訪れる方は、時刻表チェックをお忘れなく。

付近に住む友人にヒアリングしましたが、お店などないそうですから
飲料水や簡単に栄養補給できるものを携行して現地へ出かけるのがよいようです。

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