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悲しみの向こう側

拝啓

母さん。こんな手紙書くの初めてで何だか照れくさいな。

あぁ、大丈夫、元気でやっているよ。

夜勤の仕事は正直辛いけれどあの時母さんが就職をとても喜んでくれた仕事、今でも勤めているよ。

そうそう、息子の○○は俺とは違いやんちゃな事など一度もせず、もの静かな優しい子に育ったよ。

性格は俺とは真逆、似ているのは顔だけかな? 

俺が高校生の頃、学校にも行かず日夜ゲームセンターを徘徊して警察に捕まり、母さんに署まで迎えに来てもらった事もあったね。
 
学校にも3回位呼び出してしまって…「次、警察沙汰になったら停学では済みませんよ!」と言われた母さんは一生懸命生活指導の先生に謝っていたね。悪びれもせずソッポを向いている俺の頭を手で押さえて頭下げさせて…さぞや肝を冷やしたでしょうに。

家に帰り、泣きながら俺に説教・説得をしてくれたね。流石の俺も改心したよ。

あの時母さんが泣いてくれなかったら…同じ事を繰り返し高校を卒業する事は出来なかっただろう。

あの頃は迷惑ばかりかけて本当にごめん。そしてありがとう。

今は文章でしか伝える事の出来ない亡母への想いです。

先日の陽だまりさんの記事「魂の行方」です。私の胸に深く深く響きました。

以前より私なりの死生観を書いてみたいとも思っていました。


以下の文は私の体験談です。死と向き合う場面、描写もございます。


私が23歳の時です。今から30年弱前の話になります。

その日は夜勤明けでそろそろ寝ようかと布団に入ったAM10時半過ぎ位、父が「病院から電話が入った、直ぐに来てくれ」と、そして私に「寝かけで悪いが直ぐに出る支度をしてくれっ」

???検査入院だけの筈、直ぐに来てくれってどういう事だよ???

よく状況を飲み込めないままに病院に急行しました。


???4人部屋から個室に移ってる???


ベッドに横たわる母、普通に寝ている様にしか見えませんでしたが母のベッドの周りには沢山の医療器材が配備してあり、これは尋常な状況では無いという事は即座に理解出来ました。

「母さん?」「母さん!?」手を握るも既に意識はありませんでした。

医者の先生からは「呼べる縁者の方は呼んで下さい」と。

???えっ? ど、どういう事、もう駄目なの???

5つ年の離れた妹は当時京都の大学生で京都で一人暮らしをしていました。電話は掛けるが繋がらず例え繋がったとしても、ここに駆けつけるまでに3〜4時間はゆうに掛かるであろう。

「血圧下がっています。」「脈拍も減少、微弱です。」

病院に着いて僅か1時間程の事でした。

どれだけ手を握っても顔を擦っても母は応えてくれる事はありませんでした。

そして医者の先生から

「今、自発呼吸が止まりました。」

…えっ、それって事実上亡くなったって事? これが人の死?  生命維持装置付けて、延命しているだけ?  嘘だろ?!  信じられない!?  俺、何も出来ない!

突然で余りに時間の無い状況に親戚、縁者も間に合いません。

(父)「妹○○は間に合わない、二人で看取るぞ。」

(俺)「ああ、分かったよ。」

父が先生に「もう楽にさせてやって下さい」と告げました。

そして生命維持装置が取り外されました。


あぁ、こうも簡単に命という物は手のひらから溢れ落ちるものなのか…

何も出来ず何も話せないままに…  

母の顔は苦悶の表情など微塵も無い穏やかな寝ているそのままの表情でした。

現実逃避か現実を受け入れられなかったのか不思議と私はその時は涙は出ませんでした。

私の父は昭和十年代生まれで人の言う事は絶対に聞かない昭和初期の頑固でアナログかつステレオタイプの象徴の様な偏屈親父で正直私は嫌いであったが母の告別式に喪主として来賓の方々に最後の言葉を言っている最中に大泣きで言葉が止まってしまった時、私も初めて涙が溢れてきました。「あぁ、親父も母さんの事を不器用に愛していたんだな」と。


母は享年53歳 私も直ぐにその歳に近づきます。

悲しみは突然にやって来てしまった、前触れもなく準備も何も出来ずに。

人はどんなに元気でいても明日どうなるかなど誰も分かろう筈も無い。

悲しみは拭いきれないけれどその悲しみの先には新しい何かが必ず待っているだろう。

その「新しい何か」を良い物にするのも自分の心、悪い物に変えてしまうのも自分の心。

振り返ってばかりではいけない。

何処かまだやんちゃな匂いの残る金遣いのすこぶる荒かった当時の私は母との死別以降は全てのギャンブルを辞め、1日に2箱は吸っていた煙草も辞め、大好きで乗車していた2人乗り専用のミッションのスポーツカー(MR−2)も降り、手放しました。

一度自分をゼロリセットし、真新しい自分に成り、悲しみの向こう側へ行かなければと強く思ったからです。

この頃からでした。一人称「俺」から「私」に変えたのも。

今までの「俺」を変える事に全くの未練が無かったかと言えば嘘になりますが私は「俺」を卒業し、そしてほどなくして結婚を選択、新しい人生のステージに登る事を決意しました。


「諸行無常」  人々の行いや物事に常は決してありません。 明日の命運は分からないし命という物は本当に儚いものという事を間近で体験したので今日、今、この一瞬を悔いのないよう大切に生きたいと心底思っています。 


…母さん、こっちの事は何も心配要らないからそっちでも親父と付きつ離れつの距離感で上手くやっててくれよ。

        
       愚かな息子より。

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