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魯迅の「故郷」は教科書に載っていた。
最後の一文が心に残り、今に至っている。
読んだ当時は、まだ10代になったばかりで、未来というものへのうすらぼんやりした感覚しかなく、むしろ、言葉の響きの美しさに惹かれたのかもしれない。
でも、年を重ね、世界は若い頃に思っていたようなものにはなっておらず、少しでも良くならないかと、自分で出来る精一杯のことをしても、大きな力は容赦なく、嘲笑うようにこちらを潰していってしまう。
そんな時、あらためて思い出すのが、あの言葉だ。

想うに、希望というものは一体所謂「ある」とも言えないし、所謂「ない」とも言えないものだ。それはちょうど地上の路のようなものである。本当を言えば地上にはもともと路はあるものではない、行き交う人が多くなれば路はその時出来て来るのだ。
「故郷」魯迅(佐藤春夫訳)

未来が見えなくても、それは未だ来ていないだけ。
決して存在しない訳ではないし、存在できない訳ではない。
歩み続けていれば、やがて誰かが、そこに行き着いてくれるのだろう。
自分が行き着くことはできなくても、道を作る為に歩み続けていくのだ。
そんな感覚を解るようになったのは、たぶん、自分が魯迅の当時の年齢に近くなってからなのだと思う。