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あの場所が私を終わらせた

とある音楽フェスが年末におこなわれ、私は数年ぶりに参戦した。

なんとなく、第一弾アーティストの発表を見て、これは行かなきゃ後悔すると思った。早々と抽選を決意した訳だが、当選後も後悔することはなかった。
自分の青春時代を駆け抜けてきたアーティストばかりのフェス。何より、個人的に好きなバンドトップ3のうち2つが出演する。こんなことがあろうかと目を剥いた。最近はアイドルにハマっていた友達にも、流石に付き合っていただきたいと声をかけた。
これまでもこれからも、どんな日程のなかでも、きっとこんなタイムテーブルはないと実感した。


当日、最初のアーティストの演奏開始から遅めに会場入りした。
その日は少し暖かく、ダウンをすぐに脱いでトートバッグのなかに押しこんで、パン生地を発酵させたように膨れ上がった荷物ができた。ロッカーは全て埋まっていて、大人しく抱えながら目的のアーティストのステージに向かい、場所を確保次第放置した。
荷物はなるべく軽く行こうな!


閑話休題。
音楽は、私にとってどちらかと言えば辛いときに寄り添ってくれる存在だった。
中学でロックの沼にハマり、今までジャンルを変えながらもバンドを幅広く追いかけてきた。シンプルながらも芯のある激しいサウンド。バンドの想いをありのまま乗せた歌。どちらかと言えばハードロック寄りが多めだが、内向的で自己表現が苦手な代わりに音楽が代弁してくれた。

最近は特にもやもやもなく、かといって気分が晴れ渡ることもなく、たまにギャンブルっぽいことをして刺激を得る、惰性に近い日常だった。


だからか、数年ぶりのフェスは圧倒的な刺激だった。

フェスは、アーティストの選りすぐりした6〜7曲が、怒涛の嵐のように流れる。自分の積み上げてきた人生の集大成を表すかのように、次々と聞いたことのある曲が流れる。ファンが盛り上がる横でも、全然盛り上がれる。
ここでサビがくるから手上げよう。このテンポで手拍子するといいかな。初見なのに全て分かる。極論、手を振ったり叩いていればいいだけの話ではあるけど、戸惑うことなく、あれだけ盛り上がったのは初めてだった。

フェスの最初から、浪人の時にずっと気に入って聴いていた曲で、これからあと何曲も聞くはずなのに、序盤で体力のほとんどを消耗してしまった。
中高で聴いていたバンドのギターが特徴的と言われてきて、実際に生の演奏は異様で圧巻だった。
泣く泣く途中抜けしたバンドが、外出た瞬間にやって欲しかった曲流れ出したのは、ワンマンへ行かなきゃいけないなと思わされた。
有名なバンドを見て、そのカリスマ性たるや感動を隠せなかった。
これまでライブへ行って見てきたことあるはずなのに、フェスでも容赦なくインディーズ時代の曲をやって、新たな発見をした。
これで最後にしよかと、友達と締めで見たバンドが突然新曲をやり出して、どことなく懐かしさを感じて、個人的に少し泣きそうになった。


全てが終わった気がした。終わってもいい気がした。
急激な人生の変化がない限り、暫くは続くかもしれない道のり。なのに、自分の全てが完結したような感情。これまでの酸いも甘いも、全てこのイベントが昇華してしまったのだ。
残った自分は、終始余韻でぼんやりとしていた。ただ、「良かった」という言葉をずっと友達に投げていた。それくらい、表現しようのない昂りと喜びが体中に流れていた。


不思議なことに、それ以来メンタルの不調が来づらくなった。
同じ自分のつもりなのに、心のゴミ箱がほぼ空っぽ。前まではずっと溜まって時々溢れて体調を崩していたのに、今ではゴミが入っていても、まあまあ一旦落ち着くかと冷静に処理を考えるようになった。仕事で焦ってもな、分からないことは大人しく聞こうと、少し力を抜くことを覚えた。
勿論もやもやすることは、今でも全然ある。優秀な周りや幸せそうな話に、比べてしまったりすることもある。
だけど、辛くなったら「自分には、あの場所があった。自分は人生の最高潮、思春期の集大成を既に味わって完結してなお今の自分がいる」と思うだけで、ゆっくりでも自分なりに前に進める気がした。



ようやく、暗闇ばかり目を向けてきた子供から卒業したのかもしれない。行こうと決意した自分と、あの場所に感謝したい。

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