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小説にまつわるあれこれ

もう1週間が終わったことに震撼しております。時給が200円あがりました。積立NISAの口座も無事開設できました。お金回りがちょこっとよくなった。

ここ数ヶ月創作に対する意欲がなかったものの、ようやくいろいろ書きたいと思えるようになってきたので、アイデンティティを取り戻しつつあります。嫌だと思っても自然と戻ってこれるのって大事。よかった。

これで終わるのは流石に悲しいので、もう少し創作について書かせてください。



大学生の頃など、ビジネス書を読みふけることが多かったのですが、最近はまた小説を読むようになりました。新刊というよりも、2000年代くらいに発売されたものが多い気がします。そして時々最後のページに記載されている何刷かを確認することがあります。その本がどれくらい売れているか、どれくらい認知されているのかを確認する癖です。

読んでいて面白いのに認知度が低いとなると、誰にも知られていないお宝を見つけた喜びと同時に世間で周知されていない悲しみの狭間に葛藤してしまうことがあります。

私が買う小説は2パターンに大別できて、①既にメディア化されているorされる予定の作品、②本当に二ッチな作品を選ぶという感じです。持ってる小説の大半が①なんですが、この②が曲者で、一言で表すと青臭い感じ。シーンや設定を見ていると、ちょっと共感性羞恥をくすぐられるような、ラノベほどではないけど、どことなく中二っぽくかっこつけな感じというか、そういうものが多いです。

大衆向けではないからこそ、私的には作品の個を貫いている内容が刺さるんです。でもそうなると、大衆に向かってないから先述した葛藤に苛まれることになる訳です。

で、小説を書くのがずっと昔から趣味で、自分が書いてきた作品も御多分に漏れずこれに当てはまっていると続きます。世間の求めるものと自分の発信したい世界の折衷がうまくいかない。小説投稿サイトでは、転生や悪役令嬢のような、ファンタジー要素が強い一方、私の描く話はどちらかといえばSFの詰めに詰めた設定を重んじる癖があるため、個々の感情の動きや爽快感があまりないんですね。
それよりは個々はあくまで世界の進行を構成するピースのひとつに過ぎず、この退廃的でとち狂った世界を刮目しやがれこの野郎って感じで、今こうして振り返ってかなり乱暴なことしてるなと気づいている次第です。

それで、多分友人はやたら論文チックになる地の文に対して「ブログとかの方が合ってるよ」と言ってくれたのだと思います。でも書きたいものは書きたいんだよ、パトラッシュ。

これに対して分析とかしてこなかったので、ひとまず小説やゲームのストーリーを読んで、
・登場人物の動き(台詞の前後でどういう行動や表情の書き方をしているのか)
・設定をどう小出しにしていくか(弱点たる伏線の張り方、回収の仕方)
をもう少し学んでから実践に移ろうかなと思います。

本当設定だけいっつもすぐ完成するからね、なんで?しかもプロットという概念を置き去りにして作るから、ごちゃつくのもよろしくない。
ようやく仕事と趣味に没頭できる人生になったので、色々試行錯誤してみます。


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