破天荒と呼ばれたくて

「僕には夢があって、一度でいいから、わがまま放題して、みんなから破天荒な人だって言われることです。」
大好きなドラマ「カルテット」の中で、松田龍平演じる別府という人物が言う台詞。これがずっと妙に心に残っている。

僕は、明るくて豪快で、それこそときに周りから破天荒と言われるような人が好きだ。タイプとかっていうより、男でも女でも人として気持ちいいなって思う。そんな風になりたいなとも思う。

子どもの頃からどちらかといえば大人しく内気なタイプな僕だったけど、大人になるにつれ徐々に社交性と社会性を身につけ、今ではだいぶ明るくなったと思う。人の話に大きな声で笑ってくれる人って気持ちいいなと思ってから、自分もよく笑うように意識してたら、いつのまにか癖になって、本物のゲラになった。

破天荒さというか、ときにすごく大胆な行動をすることは結構ある。新卒で着いた仕事を半年で辞めて、まったく別業種の仕事についた事もだし、これはこう!と決めたことは突き進む性格だ。

フットワークも軽い。ひとりで東京にも東北にも行っちゃうし、会いたい友達がいれば休みがあれば1泊とかなんなら日帰りでも会いにいく。実は先日の名古屋での初aikoライブが忘れられなくて、先日横浜でも行われたライブに当日参加を決め、なんとかしてチケットを手に入れ日帰りで行ってきた。フットワークというか、衝動性はめちゃめちゃ強い方だと思う。

ところが、周りの人に僕のイメージを聞くと、破天荒のはの字も出てこない。「穏やか」「常識人」「繊細」「腹黒」…まあこんなとこだろう。後半2つはやや不本意でもあるが、まぁ自覚はある。

たしかに人って、誰かにその人がどんな人かって聞かれたとき、1番醸し出す第一印象を言って雑に説明しちゃいがち。「明るい」「元気」「おとなしい」「怖い」「変人」などなど。たしかにその第一印象で、僕が「破天荒」と評されることはまずないだろう。

だけど、僕の本質をある程度知っている家族や友達から、「じんすけは破天荒なとこあるよね」の一言くらい貰ってもいいのではなかろうか。うちのばあちゃんは、なぜか僕のことを神経質でお腹が弱いとずっと思いこんでいる。おそらく、幼少期親が近くにいないとずっと泣いているような子だったのと、よく下痢をしていたことが、祖母のイメージの中で根強く残っているんだと思う。どちらかといえばいい加減で、よく体調は崩すがお腹はさほど弱くない僕のことを知っている母が何度も訂正しても、イメージは覆らないみたいだ。

その母ですら、僕のことを破天荒だとは一度も思ったことはないらしい。僕の面倒くさい内面をしょっちゅう話しているので、繊細さが目立ってしまい気づかないのかもだけど、「自分さー、結構思い切りがいいと言うか、行動力あるじゃん?」みたいなことを言ったら、「そうかぁ?」と首を傾げられた。まったく不本意である。

おそらく、人のイメージって簡単には覆らない。お互いのことを知っていくにつれ、意外な一面に出会うことはあれど、おおかたのベースは出会ったときのまんま、ってのは僕が人に対するイメージでも言えること。基本僕は、初対面で一見穏やかで感じ良さそうにしているものの、警戒心マックスで心開くまでに時間がかかるので、その印象が僕をよく知る人たちの中でも強いのだろう。

ところが最近、いきつけのゲイバーで話していると、今まで僕が持たれてきたイメージとはちょっと違うな、というのが分かってきた。

今までの人生、僕は性的な興味関心が人と違うことを薄々気づいてきて、そういった話題を避けるようにしてきた。おのずとして、それに直結する恋愛や欲望の話題も。それが、ゲイのコミュニティの中で解放できるのが嬉しくて、嬉々としてaikoのこと、恋愛のこと、男のこと、セックスのことを喋っていたら、「熱狂的なaikoファンのなんでもあけすけに喋る性欲の強い子」みたいになってたみたいだ。それはそれで不本意だ。僕は下ネタは大好きだけど、決して下品にはならないようにという配慮をもって話しているつもりなのに。

とはいえ、今まで自分が持たれてきたイメージとは違う印象を持たれるということは、なかなか新鮮で嬉しいものである。今まで出しちゃいけない、自分しか知らないと思っていた自分の中のものを外に出すことで、少しずつ考え方やものの見え方が変わってきたような気がする。明るさも暗さも、繊細さも大胆さも、全部僕なのだ。まるごと、ありのままの自分を、もっともっと出していけたらなと思っている。

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