僕の話は全部が余談

先日から咳がずっと続いている。一時期は夜中に目が覚めてしまうほどの酷い状態だったので、先日やった扁桃炎をこじらせて気管支炎にでもなってしまったのかと思って耳鼻咽喉科に行ったら花粉症だと言われた。

また、昨日から右の上の奥歯が地味に痛む。食べるのがつらいとかそういうレベルじゃないが気になるので歯医者に行ったら、虫歯じゃなくて知覚過敏と言われた。

てなわけで、地味な体調不良✖️2。病院で「大きな問題なし!」との判断は下されたが、僕は診断を密かに疑っている。耳鼻咽喉科も歯科も、本当はかかりたかったところが予約が取れなかった、行ける日がちょうど定休日だったという理由でやむなしで行った、2軍の病院だったからだ。本当は重大な疾患が隠れているのでは…と一抹の不安を抱えている。

そんな健康系のトピック以外になんのエピソードもないほど、僕の最近の日々は凪、である。平和で結構という見方もできるが、間違いなく生きることへのモチベーションが低下しているのだ。

元から、僕はバイタリティ溢れるタイプではなかったが、少なくとも生きることに一生懸命ではあった気がする。初めてのことに戸惑ったり、凹んだり、しっかり転んで深めに傷ついたり。
ところが最近の僕は、なんだか人生に小慣れてしまっている。何事にも、「まあこんなもんだろ」精神が板についてしまい、悲しむことも傷つくことも減ったけど、喜びも確実に減った。

最近自分で気づいた自分の口ぐせは、話し始めに「どうでもいい話なんですけどー」って言うこと。よくよく考えてみたら、今の僕の話にどうでもよくない話がひとつもない。どうでもよくない話ってなんだろう。

今度、友人が結婚するのだけれど、「結婚しました」と言う報告とそれに付随する話は間違いなくどうでもよくない話だろう。先ほど書いた地味な体調不良が実は命に関わることでした、ってなことも全くどうでもよくないだろう。ついに夢だった仕事に就けそうだ、家族にこんなことがあって…人生の転機となる出来事は、良いことも悪いこともすべてがどうでもよくない話だ。

今、そういったことすべてから縁遠い僕の人生はすべてがどうでもいいことだ。全部が余談ってこと。チャットモンチーにも、「余談」って歌があったな。余談は大好きだし、ずっと話していたいが、本筋の話があるからたまに脱線するのが楽しいのであって、すべてが余談では、あまりにも人生に張りがない。

そんなすべてに無気力な今の僕に残されたエネルギーは欲だ。性欲、食欲、そして書きたい欲。マッチングアプリで延々とすぐに会える相手を探し、お金がかかるのに外食が好きすぎてやめられない。食欲も性欲も、あまりにも動物的な本能に基づいた欲求なのでなんだかそれが自制できないのがみっともないが、間違いなく今の僕を突き動かすエネルギーになっている。

そして、書きたい欲というのが、今の僕を唯一能動的に突き動かすエネルギーだと思う。食べるとか、寝るとか、そういう生命維持に不可欠なこと以外にいかにモチベーションを持てるかってことが、生きる意味だと思うのだけど、僕はこうして自分の中に溢れる感情を何らかの形で放出するということが、ある意味の生きがいに感じているのではないだろうか。

しかもこれが、1人で日記にシコシコと書いているだけじゃ収まらない、公の場に発信して読んでもらいたいという自己顕示欲が、かろうじて他者と繋がりたいという感情と共に僕を社会に繋ぎ止めている気がする。全部が余談の僕の話に、うんうん分かるよってどこかで共感してくれる人がいることを信じて。

結局のところ、今ずーっと無気力なのは、寂しいからかもしれない。やる気が起きないといいつつ、肌ツヤを気にしてパックをしてみたり、色々と服を買い漁ってみたりするのは、誰かに素敵に思われて、ゆくゆくは誰かの特別になりたいという未来への期待への表れのような気がするからだ。

僕の「どうでもいい話」を日々聞いてくれる誰かが欲しい。それが気の合う友達でもいいけど、欲を言えば、彼氏。優しくて、イケてて、エロくて、話も面白くて、束縛しなくて、僕のことを全肯定してくれる、都合の良い男、どこかにいませんか〜!?
最後のもぜーんぶ余談。

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