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オンライン英会話スクールはじめました(前編)〜英語は勉強じゃない。体験だ〜


皆様、はじめまして。

ファンファンラーニング株式会社の代表、山中と申します。

本記事は、こちらのまとめ記事を分割した前編になります。一括してご覧いただける場合はこちらの記事をご確認いただければ幸いです。
【告知】現在Amazonでも人気の「英語かるた」を2021年1月11日まで期間限定で無料配布しています。詳細はこちらからどうぞ!

弊社は、ミントフラッグ株式会社と共同で「日本にいる子供達を英語ぺらぺらにする!」をミッションに掲げて、英語をもっと好きになってもらえるよう、英語を活用した学校劇や、英語学習の方法、アプリの提供などを行っております。

産学共同で事業を行っており、
合計40000名を超える子供達に
英語劇を観劇いただいております。

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プロジェクションマッピング×ミュージカル×英語を組み合わせた学校劇は、ITとエンターテインメント制を融合。大人から子供まで幅広い層までお楽しみいただける人気の学校劇です(一般公演も数回行っております)。


2020年8月にオンライン英会話サービス
『マグナパーティ』を立ち上げました

かれこれ会社を立ち上げてから早2年が経過しましたが、2020年はコロナの影響で大きく業態を動かしていきました。

その中でも私たちができること、やりたいこと、貢献できることとして、2020年7月にオンライン英会話サービス『マグナパーティ』を立ち上げました。

おかげさまで英会話サービスであるにもかかわらず「楽しい」「発見が多い」と、参加される方も保護者の方も満足度が非常に高く提供できております。

しかしオンライン英会話サービスって
どこも同じなのではないの?

他のサービスとどこが違うの?

と言う声も非常に多くいただきます。

なぜ、今オンライン英会話サービスなのか?

私たちが提供するオンライン英会話
サービスとはどういうものなのか?

それについては今回の記事を通して、
・私たちが「英語」を提供する気持ちや狙い
・私たちのサービスを受講した後にどうなるのか?

と言う点に関しまして、少し自己紹介と合わせてお伝えさせていただきたいと考えております。

今回の記事は記者に取材をしていただき、インタビュー形式で記事にさせていただきました。

英語に少しでも興味がある方を始め、英語を通した体験や発見について、私なりの体験談を交えてお伝えさせていただきます。

お子様だけではなく、弊社の考え、弊社が考えている生き方などに少しでも共感いただけた方は、ぜひとも弊社を応援いただければ幸いですし、
よろしければこちらから無料体験(無料相談会含む)にご応募いただければと思います。

前置きが大変長くなりましたが、私の自己紹介や、英語に関する想い。

なぜ、今の時代にオンライン英会話を立ち上げたのか?についてお届けさせていただきます。

❶英語は勉強じゃない。体験だ。
教育事業に携わろうとした経緯

記者:
それではまず、山中さんの幼少時代から順番にお話をお伺いして、どういう経緯で英語に興味を持ったのか?や、教育事業に関わろうと思ったのか?などをお聞かせいただければと思います。
まずは生まれやご家庭の環境などについてお伺いさせてください。どのようなご家庭で育ったのですか?

山中:
東京生まれ東京育ちです。
父はサラリーマンで母親は専業主婦。父はよく海外出張で英語圏にいることが多く、ほとんどお家にいませんでした。あんまり遊んでもらった記憶はないですが、よくいたずらして怒られてましたね(笑)反抗期の頃にお母さんに悪口いって、「ふざけんな」と飛び蹴りされたことがいまも印象に残ってます(笑)。
私は一人っ子だったこともあり、祖父母にも可愛がられ、愛情たっぷりうけて育ったと思います(笑)


Q.教育に関してはどんなご家庭だったのでしょうか? 父親の影響で英語も早い段階から学んでいたとか?

山中:
いえ、非常に普通の家庭だと思います。確かに父の影響で海外赴任するかもみたいな話があったりとか、英語をやらなきゃねーとか、そういうレベルの会話は家族であったと思いますが、でもそれぐらいでしたね。だからと言って英語を早い段階で勉強することは一切なかったです。
学業の面では小学生の頃に中学受験をして、私立の中学に入っています。塾には通っていましたが、塾でも勉強せずに遊んでしまい塾の先生によく怒られていました(笑)。
 

Q.受験勉強では英語学習はしていたのでしょうか?

山中:
いえ初めての英語は中学一年生のころでした。そこで初めて英語学習をやりましたね。今でも覚えていますが、五十嵐先生っていう日本人の先生でしたが、見た目が日本人っぽくなくて、英語授業の初日に、教室に入るなり、いきなり英語で話しかけられて、とてもびっくりしたことを今でもよく覚えてます。
記憶にあるのはそれぐらいで、英語の勉強もほとんどしてなかったです。だって、興味がないものは覚えられないので、全然勉強していなかったですね。


❷人生が変わった海外でのキャンプ体験

Q.小学生〜中学時代はほとんど英語との関わりがなかったそうですが。英語と深く関わるきっかけや出来事はどの辺りからになるのでしょうか?

山中:
英語を真面目に勉強しはじめたのはもっと後ですが、一番人生が変わったと言える出来事が高校一年生の頃のきっかけで、アメリカにキャンプして過ごすプログラムに参加したことでした。これが初めての海外体験でしたが、これがもう本当に衝撃的で。間違いなく今の人生にも影響を与えている大きな出来事です。
海外体験の内容はアメリカに3週間行って、同年代の人たちと田舎町でキャンプして過ごすというプログラムでした。

Q.どういうきっかけでアメリカに行ったのでしょうか?

山中:
仲の良い先輩お姉さんがいて、そのお姉さんが勧めてくれました。なんでも、そのお姉さんは、大学でアメリカでキャンプをしようという学生団体の人で、ボランティアスタッフとして活動していた人でした。とにかく押しが強い人で、もうなんかよくわからないですけど、「すごくいいから絶対に参加したほうがいい!」ってめちゃくちゃ勧められて、何かわからないままに参加しました(笑)。


Q.すごい思い切りですね! ちなみにその頃、英語への興味や学習度はどれぐらいだったのですか?

山中:
いや、全然ですね(笑)。英語の授業は学校でもありましたけど、全然勉強していない。だからもちろん全然しゃべれませんでしたから、現地に入っても片言の英語。もう本当のガムシャライングリッシュを駆使するレベルですね。

Q.具体的にはどういう衝撃を受けたのでしょうか? 行く前と、行った後でどのような感覚や成長を感じましたか?

山中:
一言で言うと別人になった感覚です。例えば性格も、アメリカキャンプに行く前は全然ガツガツしていなかった。慎重で繊細なところが多くて、大人しい方だったと思います。けれども、行った後は、物凄い積極的になって、自信に満ち溢れて帰国した感じでした。もうなんでもこーい!みたいな(笑)。何か分からないけど、物凄い自信に満ち溢れていましたね。

Q.それほどの衝撃を与えたと言われるアメリカのキャンプですが、具体的にどのような場所で、どういう人たちと何を経験するのですか?

山中:
場所はカリフォルニアでしたが、めちゃくちゃ田舎の砂漠のど真ん中の古い牧場なんですよね。牧場のバンガローに2段ベッドがあって、そこにたくさんのアメリカ人や、日本人も数人いましたが参加します。それ以外の国から参加した人もいたと思うんですが、当時の自分は誰がどうとかよくわかっていなかった。

振り返ればやることも至って普通で、乗馬したり、キャンプファイアやったり、アーチェリーしたり、ダンスしたりと言うような感じで過ごしていました。

Q.でもその生活が人生をいっぺんさせるような経験になると? 最初は見知らぬ土地で話せない言語で不安はなかったんですか?

山中:
先輩のお姉さんに最初勧められた時から特に怖いとか、英語に対する恐怖とかは何も考えなかったですね。海外に行くことも特に不安になることもありませんでしたし。とにかく言われるままに「はい、はい、行きます!」って行って決めた(笑)。


Q.過去そのような大きな決断とか、新しいことをやろうというような経験を自分からされたことはありましたか?

山中:
いえ、ないです。何か猛烈に勧められたこととかもないので、誘われたからとりあえずやろうということで決めた感じですね。だから自分でもよく決めたなって思います。


Q.一番大きな「衝撃」や「発見」は何だったのでしょうか?

山中:
なんて言うのでしょうね……、一言で言うと、自分でも気付いてない自分に気付くということ。本当に自分自身の発見の連続。

さっきも言いましたけど、そんなにガンガン行くタイプじゃなかったんですけど、アメリカに行ってから、毎日見たことのない自分になっているんですよ。それは実感ができたんですね。とにかく、めちゃくちゃ積極的になっている自分がいたんですよ。「あれがやりたい、これやりたい」って。

多分ですが、何かに自信がついたんでしょうね。言葉は対してしゃべれないですけど、身振り手振りで話している内に、通じることが多くなっていく過程。それが自分の中でいくつも発見があって、「あ、言葉ってこうやって使っていくんだとか、伝わることって楽しいな」って思えるようになっていたことをすごく実感できていました。
それから、自分から積極的に話かけにいくようになって。「俺は何か海外でもいける」みたいな(笑)、なんか根拠のない自身がみるみる湧き出てきたことが一番の衝撃や発見だったと思います。


Q.自分でも気づかない、成長や積極性が発見できたエピソードはありますか?

山中:
1つは好きな外国人に声をかけたことですかね(笑)。

今でも名前は覚えていますけど、イオラちゃんというニックネームの子を好きになったんですよ。アメリカキャンプでは現地の大学生もバイトして参加しているんですが、イオラちゃんはその大学生のアルバイトの子でした。そこで、この3週間の間になんとか仲良くなりたいと思って。それで頑張って、キャンプ最終日に「ダンス一緒に踊ってもらえませんか?」って誘ったら、「いいよ」って言われた。

自分自身が一番驚いていますし、英語喋るだけでもドキドキなのに、「一緒に踊ってくれませんか?」なんて自分が言えたなんて、自分でも信じられない体験だったと思っています。

アメリカキャンプでは小さな1つ1つが自分にとっては挑戦だったんですけど、それが小さくても達成できた喜びみたいなのが常にありました。日本に帰ってからは、もう完全に生まれ変わっちゃったような感じでしたよね。自分でもびっくりでした。

Q.その変化は、当時の自分で気付けたことなのか、周りから言われて気づいたことなのか?どちらですか?

山中:
自分の中でも周りから見ても「あれっ? なんか違うよな」という感じだったと思っています。実際、キャンプ中にも自分の中で、どんどん何かが変わってきているなという実感もありましたし、小さな成功体験を積み重ねていくうちに、すごい自信がついていくのが分かっていました。


Q.なるほど。それからの日本での生活はどんな感じだったのでしょうか?

山中:
正直勘違いだったとは思いますが、自信スイッチみたいなのがパチッと押された感じは実感していました。「もう何でもできるんだ!」みたいな。そんな、勝手な勘違いをしていましたね。結果として、高校時代も、はっちゃけるようになりましたし、部活も積極的になっていくようになりました。

Q.英語への興味や英語への学習には影響を与えましたか?

山中:
いやぁ〜……勉強の方は対して変わらなかったです(笑)。なんか、考え方が変わってしまって、「通じればいいや」っていうふうに体で感じてきたので、体全体で多分コミュニケーションする方が大事だと思うようになっていたと思います。だから腰を据えて英語を勉強したという記憶はまだ正直ないんですよね。

ただ、音楽が好きだったので、音楽を通して英語の興味や調べ物はすごくやっていた木がします。例えば、音楽の歌詞カードを見て、完コピしてたりとか、分からない単語とや用語があったら自分で調べていた記憶がありますね。


❸好きなことだから追求する。発見する喜び

Q.勉強以外の部分で他に影響を与えた部分はありましたか?

山中:
興味ある分野で、分からないことを調べるようになったりはしました。たとえば学校の教科書って、I want to be 〜というようなフレーズがあったとしたら、「アイウォント トゥ ビー〜」というような発音で学びますが、歌で同じフレーズを聞くと「アイワナビー〜」って歌われる。これって一体どういうことだろうって? 疑問に思うじゃないですか? だからそういう発音の違いとか、単語の意味とか、どうやって調べていたのか記憶が定かではないですが、自分の興味ある分野のものとかは徹底して調べていたりしていましたね。で、カラオケでカッコつけて歌ってました(笑)

Q.いつぐらいから英語の仕事をしようとか、英語に関わろうと意識されたのですか?

山中:
そうですね、仕事とかはその時まだ考えてはいませんでしたが、大学時代に、英語の楽しさを伝えようというボランティア団体に入りました。

Q.それは山中さんをアメリカキャンプに連れて行ったようなボランティア?

山中:
そうなんです。その団体に入りました。JNSA基金というのですが、中高校生を対象に、英語の楽しさを伝えていこうというようなボランティア団体です。名前だけ聞くとすごく真面目そうな印象を受けるかもしれないですが、関わっている大学生はすごくクセが強い人ばかりで(笑)。本当に面白いんですよ。
それこそ、むちゃくちゃ音楽にハマっていて音楽ばっかりやっている人とか、医者を目指す人とか、昼から酒ばっかり飲んでいる大学生とかがいて。とても変わった人が多い団体です。

Q.そこではどんな活動をするのですか?

山中:
中学生向けの英語の弁論大会を企画運営するっていうことを、年間の活動の中でも一番のコアイベントとしてやっているんですよ。

英語の弁論大会は、全国の中学生が参加する英語のスピーチコンテストなのですが、毎年合宿形式でやるんですよ。3泊4日で古い日本旅館に止まって。人数規模で言えば130人ぐらいですかね。

そこに私たち大学生が運営スタッフとして40人ぐらい関わりますが、みんなで一緒に寝泊まりして、昼は真面目にスピーチコンテストをして、夜はみんな同じ宿舎でワイワイすごすみたいな感じ。

中学生からしたらちょっと上のお兄さんお姉さんが周りにいて、全国から集まってきた同級生の仲間たちがいて。当然みんな誰も知らない状態なので、初日はお互い誰も知らないのですが、最終日にはめちゃくちゃ仲良くなって、泣きながら、「絶対いつかまた会おうね」と別れていく。そんなことを毎年やっていました。

そこで出会った子供たちとは別れた後も手紙などを定期的にくれる人もいて、本当に様々な人生を歩んでいってます。


Q.ボランティアに参加したのは、やはりご自身の体験があったからこそ?

山中:
そうですね。でも実はそのボランティアに入る前の私は、なんか自分の生きがいみたいなのを見失っていたんですよね。高校の頃のアメリカキャンプに参加して確かに自分は変わっていたのですが、でもそれをどう活かせばいいのか?とか、何をすればいいのかがよく分からなかったんです。自分が何に喜びを感じるのかっていうこととかもよく分からかった頃に、この大学生のボランティ団体の活動を知ることができて、過去の自分が体験したことを思い出したんですよね。可能性のある子供たちのその成長の触媒にならせてもらうこと。それが自分が一番感動するなっていうふうに今気づいたのがその時期でした。


Q.自分が今度は場を作る役割に変わったことで気づいたことなどはありますか?

山中:
参加してくれた人みんなの人生の大きなターニングポイントになっているんだなということが気づけたことですかね。自分がサポートする立場になって気づいたことは、子供たちの指数関数的な成長というか、パーンと何か弾けて成長していく過程が見れること。そういう人の成長を見れることや、携われることに1番感動するんだな、と思いました。いままで生きてきた中で1番感動したことの一つはいまだに18歳のときのこのイベントです。

Q.大学のボランティア活動は日本での活動ですが、それでも山中さん自身が体験してきたような経験や成長ができる一番重要なエッセンスは何だと思いますか?

山中:
仲間。中でも、今回の事例で言うと、「海外に目が向いている仲間」。これが本当に重要だと思いました。

Q.印象深いエピソードはありますか?

山中:
一生の仲間がたくさんできていく過程を目の前で見れたことですね。参加した中学生にとって一生の付き合いをする仲間を見つけていった人たちが本当に多かったです。

今から約20年前のことですから、当時海外に目を向けている子ってそんなに多くないと思うんですよね。それが、同じような価値観や興味を持っている人たちが一同に介して、英語でスピーチでしのぎをけずったり、一緒に遊んだり、一緒に寝泊りしたりする。

同じような目標、興味を持って集まると言う経験も大事だと思いますが、ちょっと大きなお兄さん、お姉さんである僕たち大学生がうまい具合に混ざって、そこから受けた刺激も大きかったんじゃないかと思います。

コミュニケーションをすること、海外について話をすることなどはとても影響として大きかったはずだと思っています。それは日本いいるだけでは気づけない価値観や考え、多様性という刺激を受けることができるからですね。

みんな大部屋で寝泊りしたのですが、これがたった一人の個室だったりとか、一人でやることだったらここまでの成長とか変化は見られなかったのではないかなと想像します。

当時は中学生の子たちはまだメールアドレスとかも持ってなかったので、それぞれ地元に帰ったあともたくさん手紙でやりとりをしていました。お手紙をくれるのが、私たち大学生はすごく嬉しくて、テスト期間中とかでも手紙を必ず返していましたね。


Q.山中さんが大学在学中、卒業後はどんなことをしたいと思っていたのですか?

山中:
子供の教育に関われることが一番の喜びだと思っていたので、「だったら教育の道に行こう!……」となれば良かったのですが、社会に流されて、普通に就職活動をして大企業に入社しました(笑)。
働くことへの気持ちは強くて、大学生時代に当時はしりだったインターンシップをいろんなところでやって、1番人が魅力的で、楽しかった会社にそのまま就職しました。振り返れば、当時、私の就職活動したこと自体は納得していました。海外赴任もできましたし、後悔もしていません。ただ、若干本当の自分に気持ちに蓋をしていたのだなとは少し感じていました。


Q.海外赴任ですか? それは英語に関わるお仕事がしたいと思ったからですか?

山中:
それもありましたが、何より海外で暮らしたいという気持ちが強かったんですよね。1社目の仕事では4年間、中国にいました。私が赴任した頃の中国はまだまだマーケットも開拓期でした。会社の公用語は英語がメインでしたが、時々中国語を交えながらコミュニケーションを取っていました。


Q.英語はどのように学んでいったのですか?

山中:
やはり必要に応じて学習していったという点があります。たとえばコミュニケーションに必要なので、伝えたいことを伝えられないといけないなと思って学んでいきましたし、仕事で必要なものを徹底して覚えていった感じです。

事前に習得しておこうと思って満遍なく勉強もしたこともあったんです。でも、それ必要なのかどうか分からない英語をやってもどんどん忘れていくんですよね。なので、効率よく学習するために必要なところとか、好きなところに特化して学んでいった感じです。使わないものは覚えても忘れるだけなので、やりませんでした。わかんないところがでてきたら、そこを学ぶ、という繰り返しだったと思います。


Q.学生時代、勉強があまり好きではないとおっしゃっていましたが、英語学習の抵抗はなかった?

山中:
抵抗は特にはなかったですね。私の学習法は、基本的にしゃべることばかりやっていたんですね。使いながら学んでいくというスタイルだった。そうすると全然苦じゃないんですよ。学習するというよりも、何よりもみんなと仲良くなりたいし、聞き取りたいから、分からなかったら常に聞き直していましたし、とにかく使って覚えていきました。

話してみると、伝わらないときとかも含めて、「なんで伝わらないんだろう?」「あー発音が違ってたのか」とか、「へーこの人こんなことに興味があるんだ」「こんな言い方するんだ!」とか、1つ1つの発見があったんですよね。それがとにかく楽しかったんです。


❹自分のための教育事業


Q:それからしばらく会社勤めをしてからファンファンラーニングを立ち上げられたと?

山中:
そうですね。長かった(笑)。14年間、会社勤めをしましたね。仕事自体はとても楽しかった。でも毎日がめちゃくちゃ忙しくて。朝5時から夜12時まで働いていたこともあったけど、ふと「何のためにやってるんだろう」と思ってしまって。

仕事自体はとてもやりがいのあることばかりでしたが、「今の自分の頑張りは、誰が幸せになるんだっけ? 社長は幸せになるんだろうけど、これは自分のやりたいこととして何か残るのだろうか? 自分の人生でこのまま終えていいのだろうか?」って思ってしまったんですよね。

どうせ自分がこんなに時間使うんだったら、一番自分が楽しいというか、自分が感動できる仕事をしたいと思って「やっぱ教育だな」と、会社を立ち上げた感じですね。


❺真の「楽しい教育」とは「体験」と「発見」


Q:会社名の由来でにもなっていますが、山中さんは「とにかく楽しく」ということを一貫していますが、山中さんが考える「楽しい教育」とはどういうことでしょうか?

山中:
私自身、英語に関しては学ぶことというよりも、使うために学んできましたし、その過程で学んだ英語はとても楽しかったんですよね。でも大人になって気づいたんですが、自分の原体験はどうやら一般的にはレアだったらしいんですね(苦笑)。

その中でも何が一番楽しかったのか?ということを言語化してみると、今までお話をさせていただいた中にもいくつか出てきたと思いますが、「体験」と「発見」を見つけていくことが楽しかったんですよね。

それこそ、相手が話をしたあの意味はどういうことだったんだろうとか。
話したい相手とのコミュニケーションの中で見つかる、
「相手のことをもっと知りたい」という気持ちとか。「一緒に盛り上がりたい」「仲良くなりたい」「あの言い方カッコいい」って思って、一所懸命伝えようとして、その過程ができていくような楽しさだとか、いろいろな発見や体験ができること。そのこと自体が楽しかったので、私が伝える英語学習でも、そういう経験や体験をして欲しい、そういう気持ちを体感して欲しい、サポートしたいという気持ちがとても強いです。


後編に続きます。



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