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桜の樹の下には/スーパースター・ガラ

笠井顕「桜の樹の下には カルミナ・ブラーナを踊る」を観たあとスーパースター・ガラBプロを観た。両軸に振れた公演でもあり、幸せなアップアップ状態になった。

笠井顕「桜の樹の下には カルミナ・ブラーナを踊る」


2021年2月の前回の「桜の樹の下には」の副題は笠井顕を踊る、だった。同じキャスト(笠井顕は体調不良で降板)での2回目の取り組み。笠井顕の不在も手伝ったかのように思われる、確かに笠井顕のDNAが作品を通して5人の「別の星で輝いている男性ダンサー」に引き継がれている様を感じた。その意味で未来に視線を据え、ダンスに何ができるか、「真にダンスに新しく生きる力を与えたい」(笠井顕プログラムの言葉)に取り組んだ公演だったと思う。

面白かった!ああいうなんだかわかんない、言葉にならないけど凄かった!みたいなのは、ダンスならでは。身体が訴えてくる。

最初高下駄で動きに制約のあるところから、それを脱ぎ、服も脱ぎ、羽織っていた襦袢を脱ぎ、褌一丁になっていく1時間半の舞台の最初から最後まで踊り狂い、しかもその集中度が上がっていく。いいもの観た。

こういうのはたくさんの人に見てもらいたい。2021年公演も含めて配信してほしいものだ。

これは「無縁」側の舞台だ。無縁とは本質的に世俗の権力や武力とは異質なもの。
歴史学者の網野善彦さんも著書「無縁・公界・楽」の最後にこう書いている。

実際、文学・芸能・美術・宗教等々、人の魂をゆるがす文化は、みな、この「無縁」の場に生まれ、「無縁の人々」によって担われているといってもよかろう。(中略)原始のかなたから生きつづけてきた、「無縁」の原理、その世界の生命力は、まさしく「雑草」のように強靭であり、また「幼な子の魂」の如く、永遠である。

笠井顕はポスト舞踏派と名乗っているが、舞踏はそもそもアングラだった。最後の紙吹雪の演出では、土方巽はキャバレーでショーをしていたなと思ったし、本来笠井顕が予定していた化粧・衣装は白塗りに青いアイシャドーのドレス姿で、79歳になった笠井顕がその姿をすると大野一雄を彷彿とせざるを得ない。その舞踏は世界に無縁のインパクトを与えた。

主催は天使館。つまり笠井顕だ。

笠井顕が投げかける。今、日本のダンスに、今、日本に、この力があるか。
冒頭の笠井顕の言葉に戻る。「別の星で輝いている五名の男性ダンサー」に桜の樹の下の死体を食わせて、「この開花の力を、真にダンスに新しく生きる力を与えたいと思います」

2021年2月の公演を経て、今回一層その種は撒かれていることを感じさせた。
日本には、無縁の力がある。

2022年12月8日追記
公演写真が出ていました。いい写真。

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スーパースター・ガラ


さて、もう一つ。全く別の軸にあるスーパースター・ガラ。
こちらの主催はTBS/サンライズプロモーション東京/MIYAZAWA&Co.

12名の世界的ダンサーによるガラ公演。ロシア圏、フランスパリオペラ座圏、英国ロイヤルバレエの3つの文化圏からのダンサーを芸術監督のパトリック・ド・バナがフラメンコダンサーを交えまとめたもの。

バレエ界の大スターであるマニュエル・ルグリのラストダンスとなっている。
バレエ界は巨大な人口と構造とピラミッドを持っている。そのバレエ界の中でもマニュエル・ルグリという人は、大きな存在で、バレエ愛を実態にしたような人だ。

パリ・オペレ座のエトワール時代、パリまで観に行った。2009年のパリ・オペラ座引退後、10年ウィーン国立バレエ団芸術監督を勤め、2020年からはミラノ・スカラ座バレエ団を率いている。彼が監督に就任すると、そのバレエ団がどんどん成長してイキイキしてくる。日本公演を見ても、「あぁこの人は本当にバレエを信じている。そしてその分、バレエからも信じられている」と感じる。ずっとファンだったし、これからもそうだ。

ラストダンス直前の演目は、ドン・キホーテのGPDDで、マリアネラ・ヌニュスの長ーい長ーいバランスやトリプルを交えた32回転のフェッテは、技術を見せびらかすというのではなく、彼のバレエへの愛へのアンサーダンスのように見えて、嬉しかった。

久しぶりに観た彼の踊りは相変わらず優雅で美しかった。新作を見せてくれたのも喜ばしい事だった。

でも、今、彼は監督なんだな、と思った。

自分が踊ることに注力して生きている人ではなくて、監督としてバレエ団を一層華開かせていくことに集中している人だ、と。

彼がこの機械をポジティブに捉えてくれていることに疑いはない。日本のファンに会えることを喜んでくれていることにも疑いはない。
けれど、今わたしは監督である、という人に踊る機会を企画するというのは、なんだか変な事だな、と思った。

さて、公演自体はザ・クラッシックな演目が少ないながらも、ロシア圏からは「ルースカヤ・ソロ(民族舞踊系)」「シェヘラザード(バレエリュス作品)」「ジュエルズ ダイヤモンド(ロシアをテーマにした踊り)」とロシア色を打ち出し、パリオペ組はローラン・プティ作品とフランス色。ロイヤル組は現代作品とドン・キホーテなどのザ・クラッシックというロイヤルらしい組み合わせで、各文化背景を色濃く映し出した演目だった。何か意図があったのだろうか?

ロシア圏からのダンサー3人のうち現役であるスヴェトラーナ・ザハロワはロシアバレエ界における大スターであり、プーチンの後押しもあって国会議員の顔も持っている。来日にあたってファンの間では様々な思いがあり、私も複雑な気持ちでみた。

観ながら感じたのは、この先ロシアのダンサー達の身体はきっと変わっていくんだろうな、という事だった。文化交流はほぼ無くなり、表現の自由への圧力もすでにかなりあるとも聞く。その中での身体表現者というのは、一体どういう身体になるんだろう。さぞかし苦しい事であろうなぁ、と。

中村草田男が「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と詠んだのは昭和6年。ひとつ前の大正の終わりを超えて、やっと明治が遠くなったと認識する。平成が終わって令和になって、昭和が終わってたんだな、と気づいた時に、そういうことか!と思った。

なんだか今回のこの公演は、ウクライナ侵攻以前とは世界が変わってしまったのに、それに目をつぶっているのか、もしくは最後に観ておこうというような、演目の並びを見ても、そんな公演のように思われた。

P.S.
公演プログラムのマニュエル・ルグリのインタビューを読むと、自分の引退は2009年のオペラ座の引退公演だよ、と語っていました。ですから今後も機会があれば踊ってくれるかもしれませんね。ただ監督に集中しながら、その機会を持つかどうかは、わかりませんが。
2007年にカルラ・フラッチが横浜で踊った時のことを思い出していました。公演は大野一雄 100歳の年ガラ公演「百花繚乱」。フラッチは70歳でしょうか。お祝いに駆けつけてくれました。静かな、とても美しい踊りで今でも印象に残っています。

公演概要



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