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藤井八冠にあやかりたい、という危うく怪しいあやふやな話

藤井聡太八冠が食べたオヤツ(塩バター大福)がバカ売れとのことです。
この21歳の若者が何を食べたかが数年前から頻繁にニュースになっています。
この若者は、木の板の上にたくさん並べた木片を何時間も見つめ、見つめてはたまに木片をちょこっと動かす仕事をしています。
八冠とはその仕事で集めた八つの称号です。
名人と竜王と王将と王座と王位と棋王と棋聖と、あと一つあるのだけど出てきません。同じような漢字二文字のはずです。それにしても七つも覚えているなんて大したものでしょう。

さてどうしてまた藤井聡太君の食べたものにみんなが興味を示すのでしょう。
最初この人は珍獣の類いか何かだと思ってました。
パンダなどの珍獣の生態には興味津々になりますから。
しかしみなさん聡太君と同じものを食べたがりました。じゃあ珍獣なわけない。
きっと「あやかりたい」対象なのです。
そう、みんな聡太君にあやかりたくてあやかりたくて仕方がないのです。

ではその「あやかる」とは何なのか。
辞書を引くと以下のような説明がありました。
 ・影響を受けてそれと同様の状態になる
 ・幸福な人に似て自分も幸福に恵まれる
英語辞書を引くと、
 ・to share (someone's) good luck
とあります。幸福のお裾分けですね。
「あやかる」は漢字にすると「肖る」です。
「似る」という意味の漢字です。
「肖像」の「肖」ですね。

つまりは聡太君のような偉業を達成するような人になれますように、そんな幸福にめぐまれますように、という思いがあって彼が食べたオヤツを買い求め食べているのです。かなり虫のいい話です。

そのオヤツ、塩バター大福には特別なパワーがあるのでしょうか。超人的な頭脳のひらめきを助ける何かがあるのでしょうか。
栄養学的にはたぶんありません。
食べても栄養素の量に応じた人体の代謝反応が得られるだけです。
栄養が相応量のバッテラでも同じ効果があるでしょう。いや、バッテラのほうが脳にいいかもしれない。DHAやEPA、つまりドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸が含まれているからです。
これらはサバなどの青魚に含まれる脳にいい必須脂肪酸です。
それにしてもこれらの化学名を正確に覚えているなんて大したものでしょう。

とにかく栄養がそれほどでもないのに、どうしてそのオヤツであやかれるのか。
もう少し「あやかる」を掘ってみましょう。

語源を調べると諸説あるようですが、もっともボクがしっくりきたものが以下です。
「アヤ」=奇怪なもの、呪術的なもの
「カル」=借りる
つまり、奇怪なもの、呪術的なものを借りてくる、となります。
この「アヤ」が奇怪なものというのは違和感がありましたが、以下の語群を見ると納得できました。
危うい、怪しい、殺める、誤る、操る、あやふや、など。
アヤたちはなかなか奇怪な面々でしょう。

あやかると、奇怪なもの呪術的なもの、そんな特別なパワーを借りてこられるのです。
塩バター大福は、聡太君が食べたことによって呪術的なパワーが備わったと多くの人が思ったのです。
ただのバッテラにそんなパワーはありません。

さて一方で、偉業を成した若者は他にもいます。たとえば翔平君、結弦君、尚弥君です。
実は彼らのほうが世界的に偉業を成したとされています。国際的なスターです。
しかし彼らが何を食べたかはまったくニュースになりません。
木片をたまに動かす仕事よりも、野球やフィギュアスケートやボクシングのほうが圧倒的に華やかなのに。
多くの人は聡太君にはあやかりたいのだけど、他の華やかな3人にはあやかりたいとは思わないのです。
いったい何故、聡太君だけが何を食べたかが注目されるのでしょう。

これはおそらくニーズの違いでしょう。
多くの人は、他の3人のような能力を備えても仕方ないのです。
今さら160キロのボールを投げ、40本のホームランをかっ飛ばし、4回転アクセルを飛び、4団体を統一しようとは思わないのです。
一方で超人的頭脳は何歳であっても手に入れたいのです。
6億通りの手を読んで、AIを凌駕する一手を打ちたいのです。そんな卓越した頭脳を持てば、勉強にだって仕事にだって妻との言い争いにだって何にだって役に立ちます。

いや違うかな。
57歳のボクですが、160キロ40本4回転4団体は達成してみたい。6億通りより魅惑的です。
あるいはもしかしたら、親としてあんな子が欲しいという利己的な遺伝子がそうさせるのかもしれません。自分がなりたいのではなく、子どもになって欲しいという欲望が働いているのかもしれません。
単に頭が良いだけでなく、情緒が安定していて、泥臭くなく、粗野なヤンキー濃度ゼロの子が欲しい。子孫を残すなら聡太君のような、シュッとした子が欲しいということかもしれません。
彼は母親に「うるさいんじゃ、くそババア!」って言いそうにないでしょう。

あれえ。ここで尚弥君は脱落だけど、翔平君、結弦君も同じように、あんな子が欲しいと思わせるキャラクターだ。
これも違うなあ。
何だかまずいことを書いたかも。左ボディブローを喰らいそうだ。

単にあれかな。
たまにちょこっと木片を動かす競技は、情報量が少なすぎるからかな。
他に何もないから、何を食べたかという情報を仕方なく提供しているのかもしれない。
そうすると、数少ない情報だけがどうしても際立ってしまいます。目立ちます。
木片勝負の複雑怪奇な「アヤ」なんて、詳しく解説されたところで誰も理解できません。
カツ丼を食べたとか、天ぷら定食を食べたとかしかニュースにできないのでしょう。

長々と書いてきたのに、ものすごく単純な結論に達してしまった。
何てことだ。
記事としての出来も最低レベルだ。
これはボクが何手も先を読めないからに違いない。

実はボクも小学生の時、木片をたまに動かすクラブに入っていました。
卒業アルバムでボクは木の板を掲げて中央に堂々と写っています。
しかし戦績は0勝でした。数十敗したと思います。下級生にも勝てませんでした。
そんなひどい戦績でも堂々としていたなんて大したものでしょう。
一度も勝てなかったのは、何手も先を読めないどころか、一手も先を読めなかったからです。
今も小学校時代と変わらず行き当たりばったりで、先を読めないのです。

しかしなぜ先が読めないのだろう。
きっと何かにあやかろうとしなかったからだ。
いろいろと大したところがあるはずのボクが、実はそれほど大したことがなかったのは、あやかりが足りなかったのだ。
今からでも遅くはない。何かにあやかるのだ。何でもいいからあやかるのだ。何でもいいからなんて「あやふや」はよくないな。それではまた。


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