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超大物芸人の“笑い“の犠牲

あまり社会ネタ、特に芸能ネタは書かないつもりでいたのですが、書かずにおれなくなりました。
あえて名前を伏せているのは、名前については呪術的な力があって、おいそれと他人が露出するものではないという変な感覚がボクにはあるからです(という記事を以前書きました)。
それはともかく、この同郷(兵庫県尼崎市出身)の超大物芸人、デビュー1年目からファンであったので、この騒ぎには複雑な思いがあります。

さて、彼はホントに報道されているようなことをしでかしたのか、その真偽にボクは興味がありません。
たぶんやってるだろうなとか、いやそんなはずは絶対ないとかの予想も願望もありません。
また報道内容が真実であっても、その是非、善悪、仕方ないとか破廉恥だとかの評価も自分の中には何もありません。
ただ彼をしばらくテレビで観ることができなくなりそうなので、残念だということだけです。

しかしこれだけでは、よくある感想です。
何とか自分らしい角度で書いてみましょう。

たしか「酒のツマミ」だったかな、番組の中で「大きい女性と小さい女性のどちらが好みか」みたいな話題になったことがありました。
うーむ、この時代に女性のルッキズム的な話題を出すのはそろそろマズいのにと思っていたら、彼は「大きい女性が好きかな。小さいと損した気になる」と発言したのです。

なるほど。
そういう損得があるんだ。
彼は女性をモノ扱いしているのかもしれない。
何気ない言葉ですが、何気ないからこそ、心の奥底から出てきていると感じました。
この時代、当たり障りのないホワイトでツルツルしたことを年々強く要求されている社会において、これは脇が甘いぞとも思いました。
そして今回の件です。
真偽はともかく、女性をモノ扱いする感性や脇の甘さという点と週刊誌報道がつながってしまいました。
裁判は苦戦するかもしれません。

さて話は変わりますが、彼は多くの新しい言葉を広めたと言われています。
「ツッコミ・ボケ」「サムい」「へこむ」「すべる」などなど、ネットでは十数個も見つけました。
すべて彼が考えたのではなく、芸人や業界で使われていた言葉をピックアップして、その新しい用法を世間に広めたのです。
彼のセンスと影響力のなせるわざでしょう。

それらの中に「噛む」という表現があります。
言葉に詰まる、言い間違えるという意味です。
主にネタ(←この言葉もそうかも)の途中や、笑いを取るようなトークの中で言葉に詰まる時に用いられます。
肝心なところで言い間違えると、
「噛んだからアカン」
と両断されてしまうのです。
最近は一般の人も使っていて、それはそれで何だかなあという気がしています。

さて、なぜ「噛む」のは良くないのか。
もちろん、笑いが起こりにくいからです。
笑いを誘うには、余計なノイズがあってはいけないのです。
笑いというゴールの前は、淀みなくきれいに清掃されていないといけない。
それだけ笑いは繊細なものなのです。

一方で悲しい場面にはノイズがあっても悲しさは変わらない気がします。
昔、4コマ漫画の「コージ苑」だったかな、悲しい場面でお湯が沸いて、笛吹きケトルがピーっと鳴り響いた時に、今にも悲しもうとしていたキャラクターが冷静にガスを止めに行って、戻ってきてあらためて悲しみに暮れるという場面を思い出しました。
悲しみは邪魔があっても悲しいのです。
うーん。ちょっと違うか。例が良くない。
まあでも、言いたいことはわかるでしょう。
笑いは瞬間的なものなので、そこへ意識を集中させないといけない。
悲しさは瞬間というより、持続的なものです。ノイズがあっても変わらない。

その超大物芸人は活動休止となりました。
休止の理由は、裁判に集中するためとのことです。
違いますよね。もうお分かりですね。
裁判というノイズがあっては、笑いに集中してもらえなくなるから、でしょう。
芸人は損かもしれません。
役者や歌手などの他のアーティストは、作品と本人は切り離されて捉えることが可能ですが、芸人は本人のバックボーン込みになってしまいがちです。
彼は裁判を抱えたままだと、まさに「噛んでいる」状態なのです。
そんな空気だと視聴者も本人も笑いに集中できない。だから裁判に集中すると言うしかない、ということだと思います。
ある意味、彼は笑いにおける繊細な空気の必要性を世間に求め、作りあげてきたと言えるでしょう。彼以前では、それは大雑把でした。
皮肉にも彼が作った繊細な空気が仇となったのです。

ボクは会社員時代に何度も職場異動を経験したので、冗談を笑ってもらうには、ある程度の空気づくり、つまり人格をわかってもらう地ならしが必要だということを経験的に理解しました。
異動してすぐでは、なかなか冗談が通じにくいものでした。
それとよく似ている気がしています。
プロと比べるのはおこがましい話ですが。

その会社員時代、ある程度の地ならしが終わって、だいたい何を言ってもウケるようになった頃、まさに前述と同じく「大きい女性か、小さい女性か」が話題になったことがありました。
ちなみに、そこには何人か女性がいる状況でした。
ボクの答えは、
「小さい女性がいいな。
 だって大きいとひっくり返すの大変やし。
 あ、変な意味じゃなくて、
 一般論としてやで。
 な、大きいものをひっくり返すの、
 一般的には大変やろ」
というものでした。

いちおう、これはかなりウケました。
「どんな一般論やねん!」と突っ込んでくれる後輩がいて、対女性陣も下ネタOKな関係性があっての計算がありました。
もちろん、これが成立しない場面がほとんどでしょう。
このnoteでは無理かな。
まさしく今現在がそうかもしれない。
あなたこそ女性をモノ扱いしているって思われているかも。まあそれはそれでいいのですが。笑いを取るには一定の犠牲が必要なのです。それではまた。

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