SOFT ANGEL :グッドオーメンズFANFIC

※TWITTERで公開した物と同じです。

最初にその写真の事を尋ねたのはアダムだった。アダムはあのアルマゲドンの日以来、たまにバスでロンドンへ来てアジラフェルの書店で怪しげな超常現象本を読むのが楽しみの一つになっていた。もちろん両親には秘密だ。
「この写真に写ってるの誰、こっちはアジラフェルだよね」
アジラフェルのデスクの上のラックに挟んである古いキャビネ版のモノクロ写真には、2人の男が写っていた。アジラフェルの隣は利発そうな目をした黒髪の若い男だ。2人とも笑っている。
「アジラフェル、じゃないだろう、アジラフェルさん、と呼べ、少年」
ソファに寝そべってスマホをいじっていたクロウリーがアダムを見もせず注意する。天使を名前呼ばわりするとはいい度胸だ。アダムはクロウリーの言葉など聞こえていないようだった。
「ああ、古い友達でね」
アジラフェルは出来るだけ動揺を悟られないよう何気なく答えた。アダムに嘘は通用しない。
「へえ、今は何してるの」
アジラフェルがどう答えようか思案しているうちにアダムは興味を無くしたのかデアゴスティーニの世界未確認生物シリーズに戻り、アジラフェルは安堵しつつクロウリーを横目で見た。クロウリーは何事もなかったようにスマホを見ていた。

もちろんクロウリーもその写真の男が前から気になっていた。しかし面と向かって聞く度胸が、いやタイミングがなかったのだ。アダムが帰った後、クロウリーは口を開いた。
「さっきの話しさ、古い友達だって、俺会ったことないよね。こいつ人間だろ」
「何十年も前からの友達で、あの、稀覯宗教書フェアの会場で知り合って、とても稀覯書やミソロジーに詳しくて。店にも良く来てくれた」
アジラフェルはこの男性のことを誰にも話したくなかった。とても大事な人間の友達だったのだ。そして詳細を話せばきっと皆言うだろう、アジラフェル、人間なんかと本当に友情が成立するとでも思ってたのか、だからおまえは甘いって言われるんだよ。
「今も友達なのか」
「そうだよ、でも暫く連絡は取って無い。仕事で遠くへ行くからって、うん、もう何年も経つけれど」
「へえ、そう、遠くにね。連絡もないのか」
「無い。落ち着いたら連絡くれるって。忙しいんだよ彼は」
仕事で遠くへ行くって、何年も経つ、そんなの見え透いてる、今時いくらでも連絡方法はある。そいつはもうおまえとは関わりたく無いんだよ、このお人好し天使様は気づいてないのかとクロウリーは内心思ったが、それを口にはしなかった。彼は写真を手に取ると、裏を見た。そこには男の名、場所と日付がアジラフェルの几帳面で特徴的な筆跡で書かれていた。
アジラフェルもその友人が自分を忘れてしまったのではないかと思う時があった。しかしこの人間の友人を信じたかったのだ。必ず帰ってくると約束してくれた。人間なんて気まぐれで矛盾だらけの生き物を信じる自分がどうかしてる。いや、気まぐれで信用できないかもしれないがそれでも自分は人間という生き物の良心を信じたいのだ。彼がこの友人の事を人に話したく無かったのは、話す事で自分の中の疑念が現実になるような気がして怖かったからだった。写真を元の位置に注意深く戻すクロウリーにアジラフェルは静かに微笑みかけた。

それはよく晴れた10月の水曜日だった。クロウリーはアジラフェルをドライブに連れ出した。おまえに見せたいものがある、としか言わないクロウリーに理由を尋ねても生返事で、ベントレーはロンドン郊外へ向かって走り続ける。着いたところは小さな、しかし美しい庭と樹々に囲まれた教会だった。
「教会?君がなぜ教会に用がある」
「馬鹿だな、俺じゃなくておまえが用があるんだよ」
「馬鹿はないだろう、悪魔に馬鹿なんて言われたくない」
馬鹿呼ばわりされて文句を言うアジラフェルだったが、向かう先が教会ではなく、教会の裏の墓地だと気づくと状況が飲み込めず不安げにクロウリーを見る。
「この男をおまえは知ってるだろ」
ある墓の前でクロウリーは言った。墓には花束が添えられている。花束は新しく、墓もそれほど古くは無いようだった。彼らが見下ろす墓にはこう書かれていた、
サー・テレンス・デイヴィッド・ジョン・プラチェット 1949〜2015
「誰なのこの人」
「おまえの人間の友達、テリーだよ」
アジラフェルはクロウリーを見、それが冗談ではないことを知った。クロウリーの表情はいつになく真剣だった。
「どういうこと、彼に何があったの、2015年って」
2015年はテリーが仕事で暫く遠くへ行くとアジラフェルに告げに来た年だった。
クロウリーは一瞬眉を寄せ気難しい表情を見せた後、ゆっくりと言葉を選びながら答えた。
「仕事で遠くへ行くなんて嘘だったんだよ、この男は最初からどこへも行く気は無かった。おまえあの頃、酷く落ち込んでもう店辞めたいって言ってた時あっただろう、その時ある古い客に励まされてやっぱり続ける事にしたって言ってたな、その客ってこの男だろ」
「そうだけど。でも彼は約束してくれた、絶対帰ってくる、その証拠に大事な帽子とスカーフを店に置いて行くから帰ってくるまで預かってくれって」
「彼は自分が治らない病気と知っていた。嘘をついたのは辛い時期のおまえを心配させたく無かったんだよ」
アジラフェルは事実を受け止めるのに時間が必要だった。そんなはずは無い、それが真実ならなぜ本当の事を言ってくれなかったのだろう。何か彼のために出来たかもしれないのに。
「上へ帰った時に会いに行けばいい。帽子とスカーフ持ってさ」
クロウリーは膝をつき、墓の花束を整えながら言った。
「いや、止めておく。天使の姿で会ったら驚くだろうし」
暗い表情で答えるアジラフェルを見たクロウリーは立ち上がると楽しそうに言った。
「おい、この人間がおまえが天使だって気がついてなかったと信じてるのか。40年も友達で。おまえ全然外見変わらないのに。たまにはささやかな奇跡だって起こして見せたんだろう、おまえのことだから」
クロウリーの言う通りだった。思えばテリーが自分を天使だと知っているのではないかと思われる出来事がいくつかあった。テリーは気づいていたんだ。気づいていながら気づいていないふりをしてくれていた。そして誰も居ない店で時々感じていたテリーの気配は思い過ごしではなく本物だった事を確信した。アジラフェルは空に視線を移すと泣きそうな表情で囁いた。
「テリー、君にまた会える事を楽しみにしてる」

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