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雨を告げる漂流団地(感想)/ジュブナイルへの狂気

感想です。大変良かったので観た勢いで書きました。ネタバレ含みますので、未視聴の方はお気をつけて。


本作は超王道のジュブナイルです。所謂少年時代に誰しもが感じたであろうなにものかをリアルに思い起こさせる作品として本作以上のものに出会ったことがありません。なぜそう言い切れるのかというと、なによりも先ずフォーカスされるのが、子ども時代にしか感じ得ない感触が丁寧に描かれているからです。その延長線上に、躍動感あるアニメーションが展開されるので、アニメーションそのものの快楽が凄い。この点が、フミコの告白、陽なたのアオシグレ、ペンギンハイウェイ、そして本作へと一筋に連なる監督の強烈な作家性なのだと思わされます。フミコの告白では思春期特有の感触が抽象的且つ空想的に描かれていたものが陽なたのアオシグレで更に深化し、より具体性をもった感触のある物語として、ペンギンハイウェイから本作へと深化されていっているように感じます。


たとえば、ガラスで膝を切る、錆びた鉄を掴み掌が擦り切れる、そういった「痛み」の描写から、団地の屋上に登るワクワク感、廃デパートのおもちゃ売り場の独特な怖さ、大量のブタメンの贅沢感、挙げたらキリが無いのだけれど、そのような、確かにかつて感じていたものが具体性をもってありありと思い出されるんです。アニメって良いなあと思わせてくれるんです。OPに団地の良さが詰まりすぎてて泣きました。その様な強固な作家性の中で、どのような物語が生まれるのか。期待しかない訳です。


一方、人を選ぶ作品であることは確かで、それは昨今のキャラクターへの共感欲と所有欲が基準であり土台とされるアニメーション群とはかなり異質だからだと思われます。





※ここからネタバレ





「団地」という象徴的な空間に執着した少女が、執着から解放され、外の世界を生きられるようになる、それがこの物語の趣旨です。物語の中盤〜終盤にかけて、一度その空間と別れる場面があっても、少女はそれを受け入れることが出来ません。自らの意思で別れなければならないのですが、その準備が整ってません。なので、死への恐怖を感じるその時まで偏狭的に団地に取り込まれます。


一方、ここが面白いんですが、こうも考えさせてくれます。私たちがかつて愛した空間というのは、誰もがさよならしてきた空間だ、しかし、その空間からみたら私たちはどのような存在なんだろう。執着していたのは他ならぬ「団地」でもありました。


ですから、双方向的に共依存関係にある為、そう簡単に執着から離れられる訳がないんです。大変厳しい。よくある感じの、さよならバイバイでお別れ〜からの成長〜とはならないんです。監督のジュブナイルへの狂気的なまでの誠実さです。そこからは、キャラクター全体を巻き込んで、叫びとドラマとアニメーションとファンタジーの怒涛により、別れを描き切ります。これをスマホの小さな画面で観るには尺も相まって辛い人には辛いかもしれないです。映画館でこそ映える映画だと思いました。ちなみに一緒に観た娘氏(中2)は、のっぽくんのまつ毛の色に注目してました。兎に角芸が細かい!


ロシアのアニメーション作家であるユーリノルシュティンが来日した時、幸運にも僕はその場にいることができたのですが、彼はこう言ってました。「誰もが子どもの頃の記憶を持っていれば戦争は起きないだろう」このような趣旨でした。ならばこそ、観る人の記憶を思い出させてくれる本作には人類にとっての倫理が存在するのです、このような時代なればこそ。


ただ一つ言わせて貰いたいところがあるとするならば、子育て中の出前は許して下さいということです。


思い起こせばまだまだ書き足りないんですが、観た後の熱を残しておくためにもここまでにします。

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