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ここにいるためだけに/コーラスの録音について

音楽はそこにいるためだけにあるのだから、できる限り敬意を持って丁寧に対峙しなければならない。

例えばコーラスを含む曲を制作するとする。録音芸術は、クオリティに大変シビアな世界だ。再現性の無いライブとは違い、特に定額聴き放題に溢れた昨今であれば尚のこと、比較対象がありすぎる。合唱団の「味」のようなものが淘汰されるのが、録音芸術である。上手い下手がすぐわかる。

そこで録音エンジニアの出番である。コーラスの録音に美意識を持つ者が編集すれば、それは個性的な美しさに近づきうる。一方、それなりに上手い人を集めるだけでは、やはり足りない。本当に上手い人を集めた方がより良いものになるのだったら、やはり「足りない」と言わざるをえない。ならばどう戦うべきか。

川井憲次氏に学ぶならば、民謡というのは一つの答えである。また、高木正勝氏に学ぶのならば、土着の声もまた一つの答えである。民謡も土着の声も、過不足ないという意味で、ある種完成している。だから、深めることもできる。このように、先人の答えを参考にできるということは大変幸福なことである。さあ、では、どう戦おうか。

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