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込み上げる欲求の行き着いた先

書きたいという衝動がたまに突き上げてくることがある。

大抵は無視をする。

なぜなら、ナニをどんな風に書きたいのかが、あまりにも漠然としているし、書いてどうなるのかという自問にいつも答えられないから。

多分、じぶんが行う行為に対して、
それはある程度の完成度や影響度、美しさを持ち合わせていることを自分自身が一番求めているからだと思う。
それが人目に触れないものだとしても。

そうやって、いつでも人の目の中に自分を置き、評価を予測し行動してきた人生のように最近気づいた。
自分のやりたいようにやっているようでも、それを人はどう思うか、どのように評価するかを常に意識していたように思う。
自分本位で生きてきたつもりでいたが、やはり社会にいる、社会の中で生きているという事実からは逃れようもなかったし、そこで生きる術を自然と手にしていたのだ。

パブリックイメージを作り上げ、それにそうように行動する。
それは公人でも私人でも多かれ少なかれ行っていることのように思う。
他人と関わる以上、その人からどう思われているか、その人がどのように思うかは気になるところだろうし、その時、自分はこう思われたいという欲求もそこに必ず存在するのだと思う。

2021年のテキストファイル

文章を書きたいという欲求

そう、こんな風に
たまに痛烈に込み上げてくる文章を書きたいという欲求と、
書いてどうするという理性からの抑制とのせめぎ合いの結果、
思い浮かんだ言葉たちをPC内のテキストファイルにただただ打ちこみ溜飲を下げていた

それを先ほど数年ぶりに見つけた
読み返してみて、そのままファイルを閉じようとしたけど、なんとなく気が進まない

なぜだろう?

どこかに、この文字たちを広げたくなった
感覚としては、この文字たちを虫干ししてあげたくなったのだ
人から見ればただの駄文だけど、いろんな時間を生きていた自分の中から出てきた言葉たちに日の光を少し浴びせてあげたいような愛しさを感じたのかな

だからと言って、脈絡があるのかないのかもわからないまま綴っていた文章をどうしたもんだかと考えた時にnoteのことを思い出した

文章を書いてもいいSNS

お店のSNSを始める時、友人にどうすればいいのか質問したら、
今どき誰も文章なんか読まないから文字は少なく画像を多くと言われた

すごくショックだったのを覚えてる

わたしは元々文章を読むのが好きだし、話すとあれもこれもと話が膨らんでしまって話が長くなるタイプで、画像や映像で何かを訴えるのは不得手だった
だからSNSはお手上げ状態で、そこにこの駄文を広げるなんて出来る訳がない
そこでnoteを思い出したのだ

「そういえば、noteってSNSなのかな?なんか誰かの文章読む時に見たんだけどな?」

そして、先ほど初めてnoteのヘルプページを読み、誰でも投稿していい文章共有型SNSなのだとわかった

クリエイターさんや作家さんなどの執筆活動の場でもあるようなので、
たくさんの人に読んでもらいたいと思って利用している方が多数なのだろうけど、
わたしとしては欲求のはけ口として最適な場所が見つかった気がした

わたしのnoteがはじまる

とりとめのない文章ばかりのテキストファイルはまだいくつかある
これからそれをポツポツとnoteに投稿していけば、少しはあの頃の自分に風や光を当ててあげられる気がする

とりあえず、誰かに見てもらいたいというよりは
外側に向けて放ちたいという気持ち

そんな風にこれからしばらくの間、noteにお世話にならせていただきます

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