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承認欲求 #2/10

 遼圭りょうけいの隣に聡太そうた花凛かりんが座る。放課後、三人は電車に揺られていた。
 三人は、幼馴染おさななじみで付き合いが長いが、こうして同じ電車で帰るのは久しぶりだ。それは、部活動や花凛のアルバイトが影響していた。
 遼圭は、以前サッカー部に所属していた。レギュラーだったが、冬休み前に辞めた。合宿やらで、執筆の時間をとられるのが、どうにも耐えられなかった。
「聡太は、今日はパソコン部どうしたんだよ」遼圭が言った。
「大会があるわけでもないし、三年生はもう帰って勉強しろって」
「ふーん。聡太は、もちろん進学だろ?」
 三人の中で一番勉強が得意なのは聡太だ。
「実は、進学以外も考えてて」
「なんだよ、聡太もかよ」
「も?」聡太と花凛の声が重なる。
「あ、いや。花凛も就職だろ」
「ああ、そういう……」
「で、進学以外ってのは?」
 聡太は遼圭の顔をじっと見て、「昨日のnoteだけどさ」と言った。
「note? スキしてくれたか?」もはや、条件反射だった。
「うん、もちろん。あれってさ、『シンゲキ』の……」
 それを聞いて、遼圭はピクリと身を震わせた。乱暴な表現をすれば、イラついた。シンゲキとは、少年漫画だ。遼圭が、触れられたくない部分だった。
 相応の理由があるなら、静かにさとせばいいはずだ。かんさわったのは、遼圭の未熟さと、また、聡太の指摘が的を射ていたからに他ならない。気がつけば、「シンゲキのなんだよ」と始まっていた。
「シンゲキのなんだよ。設定が似てるっていうのかよ。ああいうのは、昔から使われていて、俺も何度も目にした。それを、中身だけ入れ替えて……」と言いながら、遼圭はそこで初めて自分が早口になっていることに気がついた。花凛は目を丸くしている。遼圭は声のトーンを抑え、冷静を装って続けた。「オマージュっていうんだよ。あとで、それと分かる描写を入れることで、ニヤリとくるポイントになるわけよ」そう言って聡太の肩に触れた。「まあ、聡太にはちょっと難しかったかな」
「そっか。……そうなんだね。さすがだよ、遼圭」
「そもそも――」「あの!」遼圭の言葉は遮られた。声は、三人以外から発せられたものだった。
 会話に夢中になっていて気がつかなかったが、三人の前に女の子が立っていた。遼圭たちと同じ学校の制服を着ている。
「えっと、なにかな?」遼圭がきいた。
「突然ごめんなさい。あの、細谷……君」
「聡太?」
 細谷は聡太の苗字だ。
「その、お付き合いしてる人とかいますか?」そう言って、ちらりと花凛の方を見る。
「え、僕? いや、いないけど……」
「これ。中に手紙とラインのID入ってます。よかったら、お返事ください」
 女の子は聡太に封筒を手渡すと、逃げるように立ち去った。とはいえ、彼女が移動したのは走行中の電車内で、単に別の車両に移っただけだった。
「なんだよ。俺じゃなくて、聡太かよ」遼圭は、おどけて言った。内心、シンゲキの件が尾を引いているが、何事もなかったかのように振る舞った。「まあ、聡太は顔だけは、かわいい顔してるもんな。うん、顔だけは」聡太の髪の毛をクシャクシャと撫でる。
「あの子」花凛が声をひそめる。「別のクラスの子だよね。二年生のとき、いっこ上の先輩と一緒にいるの見たことあるよ。でも、付き合ってたのかどうかは分かんない。違ったらごめんね」
「なんだよ。でも、今は多分付き合ってないんだろ。なら、なんも問題ないだろ。な、聡太」
「うーん。ていうか、まだ中見てないし」
「バカ。告白に決まってるだろ」
 電車は、いつの間にか駅に到着していた。
「まずい。僕、降りなきゃ。また、明日」聡太は、座席から立ち上がる。
「おい、聡太、大事なもん」遼圭は、はらりと落ちた封筒を拾い、聡太に手渡した。さきほど、女の子からもらったばかりの封筒だ。クローバーのシールで封されている。
「ごめん、ありがとう」封筒を受け取り、聡太は急いでドアから飛び出した。
 聡太がホームに降りると同時にドアが閉まる。電車は、またすぐに動き出した。車窓から見える聡太に二人は手を振った。
「まったく。聡太の進路、聞きそびれちゃったな。それにしても……、いやー、あの子かわいかったよな」
「ちょっと、どういうつもり」
「いや、冗談だって」
「ねえ、今日、私バイトないんだけど、遼圭の家行ってもいいかな?」
「あー、今日か。今日はちょっと、ごめん」
「また? 今日もnote?」
 呆れた感じ、というよりは寂しそうな花凛の表情に、遼圭は少し心が痛んだ。
「うん。今日も更新するってつぶやいちゃってるからさ」
「そんなの、……守る必要あるの? ねえ、私たち付き合ってるんだよね?」
「ああ、うん。でも、今日はホントごめん」

 遼圭は帰宅後、両親と三人で夕飯を食べた。いつも忙しそうな父親が、食卓にいるのは珍しいことだった。
「今度、夏休みにでも旅行に行こうか。ずいぶん行ってないもんな」
「ごめん、夏休みは勉強しないと。三年だし」
 家族旅行の誘いを適当な理由をつけて断った。
 なにを今さら、と思う。今、ほしいのはそれじゃないんだ。
 遼圭は自室に戻ると、アームチェアに腰を下ろした。今日中にnoteを更新しないと。フォロワーが待っている。
 しかし、作業は難航した。
「くそ、聡太のやつ。なにも分からないくせに」
 聡太の言葉が耳から離れなかった。確かにシンゲキは、遼圭の作品に影を落としていた。それを無理矢理遠ざけようとすると、手が止まってしまう。
 行き詰まると、本棚に手を伸ばしそうになる。実際、普段はシンゲキを読んで、その世界観に浸ったまま執筆を進めていた。
 苦しんだ。エディタの文字カウントを稼ぐためだけに手を動かした。そうして、唸りながら仕上げた作品を、なんとか日付が変わる前にnoteに投稿することができた。
 安堵のためか、目を閉じると小一時間眠ってしまっていた。
 スマートフォンのnoteアプリの通知設定は全てONにしている。それなのに、一向に通知がこない。スキがつかない。
 やっとスマートフォンが鳴ったと思い、手に取ると、花凛からのラインだった。
「やっほー(いいね)水着買っちゃった(ビキニ)……」
「見たい(目を大きく開けて頬を赤くした顔)?」
 括弧内の文字は、絵文字の代替だいたいテキストだ。通知欄では、こう表示される。既読をつける気分にはならなかった。
 花凛と付き合い始めて二ヶ月が経つ。彼女からの告白で交際が始まった。
 花凛と二人きりのとき、よく性的な話になる。というか、花凛がそのように話を振る。遼圭は、そんなとき、どうしたらいいのか分からなくなる。苦手というわけではない。幼馴染の彼女と、その先に行ってどうなるのか、帰ってこられるのか、遼圭には経験がないことだから、想像ができなかった。
 同じ幼馴染の仲間である聡太にも申し訳ない気持ちになる。
 花凛のことは好きなはずだ。多分、きっと。関係に慎重であるべきだと思う反面、めちゃくちゃにしてやろうと思うときもある。それは、危険な兆候だ。
 バカなことを考える前に、さっさとオナニーをしてしまえばいい。乱暴な想像をする。花凛の服を引き裂く。アダルトビデオのように彼女を犯すが、想像の中でも、花凛の大事な部分にはモザイクがかかっている。
 全てが終わったあとで、遼圭は悪い夢から覚めたかのように無垢になる。たかぶる気持ちが鎮まっても、気持ちは変わらない。それでも花凛のことが好きなんだから、その気持ちは本当なんだと思う。
 朝になってラインを返そう。「ごめん、寝てた」それで、元通りだ。
 スマートフォンに通知が入る。noteからだ。
「ソータさんがスキしました!」
 ソータは聡太のnote内のクリエイター名だ。
 通知欄のソータの名前をタップすると、ソータのページが開く。フォロー数は2。noteの公式アカウントとリーク、つまり遼圭だ。フォロワー数は0。
 遼圭は、ソータのページを閉じようとして気がついた。記事が投稿されている。
『顔のない男の子』
 聡太が記事を投稿しているなんて。遼圭は意外に感じた。どれどれ、と値踏みする気持ちで記事を開いた。
 数行読んでやめるつもりだった。いや、会話のネタとして、それなりに読んで講評するつもりだったのかもしれない。しかし、その気持ちはすぐに消え去った。
 それは、子供の頃に感じた読書の喜びを想起させる。息をするのも忘れていた。
 遼圭は、スクロールする手を止めることができなかった。

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