麻雀で大成したいと思うなら

東京の大学を出た後、しばらくは東京の地で職を得ていたのだが、名古屋に居を移した。麻雀とは離れたくなかったので、仕事の傍ら、近くの麻雀店で腕を磨きづつけることにした。もちろん、連盟ができる前の話である。
その頃には情報源は麻雀雑誌しかなく、麻雀界の近況(特に東京で起こっていること)の報道を読むしかなかった。それでもいい刺激を受けた。

なので、私は1人でたびたび若手が集まる麻雀点や当時のベテラン雀士たちの月に1回の麻雀大会に参加して名を売っていたのだ。そして、阿佐田哲也杯で優勝。そのチャンスがあったからこそ連盟に入り今がある。

プロと名乗りながらも実は趣味程度で終わらせてしまうのか、それともプロという看板に恥じないように覚悟を持つかということである。麻雀一筋といえば私はそうでもなかったのでなかなか言い出せないことでもあるのだが、それでも麻雀を生活の糧としてやる意思がないと大成しないと確言する。1つのものを成そうと思えば、腰掛け的なスタンスではダメ。逃げ道を閉ざして、そこにまい進しないと大成しない。

一方で昨今のサラリーマンプロ雀士が多い中で、頑張っている人達もいる。
飯を食うことは決して楽ではない。しかし、今は無理でも将来は…という気概でいるのだと思っている。その決意は立派なものである。

連盟が発足する前でさえ、当時の若手プロはいた。当時のプロを名乗っていたメンバーは生涯を閉じたものもいるし、挫折してプロの看板を下ろした人も数多い。残ったものは一握りだ。

人生にはいい波があったり、辛い波をかぶらなければいけない時もある。

かくいう私も一度は挫折して、他の職に向かうと決めたことがある。

しかし、麻雀に帰ってきた。
私の存在意義を感じるところで勝負したい…と。

今はプロの対局が映像で見られる時代になった。現在麻雀を打っている選手のクセも手役志向もバッチリ見れる。どんなスポーツ、プロを抱えるゲーム、ありとあらゆるところで情報戦が横行している。目に見えるものを活用する時代なった。
しかし、私たちの世代は80%ぐらいは映像を見ていないのだろうと思う。
「そこまでして勝ちたいか?」
というプライドが邪魔しているかな?

しかし、麻雀は卓上だからこそわかるものがある。卓上で察知する力を身につけなくてはいけないと思う。先ほど言ったクセは映像でわかる場合もあるが、その場所にいてからこそわかるものもある。もちろん、絶対的なものはないかもしれないがこの相手の所作も活用すべきだと思う。
その場で起こっていることを感じる力。この話は麻雀に限ったことではないと思う。

さて、話題を変えて麻雀の打ち方について。
私みたいな麻雀の手法はとんでもないリスクを背負う。なぜなら戦う時に持っている牌がいつも少ないからだ。面前13枚で常に戦う人は、主に守備に活用できるだろう。相手のリーチに対して、安全牌が沢山できる。私みたく、中盤で3メンツをさらして、手牌が4枚で戦っている時、本当はヒヤヒヤ汗ものなのである。
4枚にしていることで主導権が私にあり、相手が全員受けていればしめたものと思うのだが、こういう中でもリーチを飛ばしてくる。その時はいつも覚悟して牌を選ぶ。安手で放銃する時などは後悔はする。
しかし、行かざる時もある。4枚で放銃を避けるという訓練も沢山してきた。

4枚の手牌で思い出したことがある。
私をプロに導いた小島武夫は私と対局時にはいつも面前でやったほうがいいという。
実際に小島武夫はそうだった。ツモったら面前清一色などはザラ。
彼に憧れて麻雀界に飛び込んだのだが、雀風は真逆だ。
そういうある時にふと思いついて小島武夫に返した言葉がある。

私は牌を少なくしないとわからないんですよ。

小島武夫相手に生意気なことでもあるがしごく名言であると思っている。

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