古川孝次のサーフィン打法講座

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摩訶不思議なHIRO柴田の自滅 ~41期鳳凰位A1リーグ第2節B卓~

鳳凰位戦応援いただきありがとうございました。 良い成績になりました。 これからも応援よろしくお願いします。 今回ピックアップする局の1つとして、1回戦東4局1本場。HIRO柴田の自滅と何故その思考に至ったかを予想し、また他の3人がどのように手を進めていたか、立体的に見ていくことにしましょう。 結論:東や中は切れない放銃の前から、おかしな打牌としてHIRO柴田は東を打っていました。古川がダブ東の処理に困っていたところでギリギリになって打ち出してきた。これを諫めなくてはいけ

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    • 古川孝次の私小説(5)

      「私は人一倍、人生を謳歌しているんじゃないか」 と、ある日、ふっと思ったのである。 たっぷり凝縮した人生を歩んで来たのではないかと。 以前、あるお店に毎日ではないが、週に3日ほど仕事をしていたことがある。 そのお店のブログに健康麻雀の成績優秀者を書いていた。途中でただ成績を書くだけでは飽きてきたのでエッセーなどを少しずつ書き込んでいた。 いわゆる自己表現である。私は20代頃、絵が好きで絵を描くことも自己表現。そして、今、麻雀のプレイヤーとしてプロ活動していることも自己表

      • 鳴かせまい、あがらせまい舞台が達人戦、A1である

        さて、この配牌。私ならどのように考えますか? 古川のサーフィン打法をよく知る人ならば 「役牌をポンしていこう。トイトイになったらしめたものである」 と説明できれば正解です。 一方で、 「腰を重くして、七対子などはどうだろうか?」 と考えるのも正解です。連盟の放送対局を多く見ておられるかたなら、この手から七対子を狙うというのを見たこともあるはずです。 これがフリー店であったり、麻雀格闘倶楽部ならば、古川の麻雀で正解。 もっと早くあがりたいために⑦チーをして全速力で上がりに向

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        • 古川孝次の私小説(4)

          私の青春時代、16歳ぐらいであっただろうか? 「大人の普通の生活」「変化のない平々凡々」 という言葉に凝縮された平凡に生きられたらそれで幸せという言葉をよく聞いた。 私はこんな考え方はまるっきり考えられなかった。 私の物語はこのことからスタートする。 それこそ変化のあった生活。それこそ波乱万丈でもいいと思ったりもしていた。とはいえ、私は月曜日~金曜日までは勉強であったり、仕事をしていた時もある。その時は土曜日が待ち遠しくしていた。 土曜日には非日常になるんだといつも思っ

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          開幕戦の前、開幕戦の後。麻雀は自在に打とう

          今日は4月2日である。 1年間のこれから始まる鳳凰戦、達人戦の抱負を以前に書いた。プロ野球の開幕をする時のように心が躍る。1年間どんな戦い方をするか、どんなに頭に描いてみても、心が落ち着かない。色々とシミュレーションしてみるが、始まらないとわからない。が、A1にいれば決定戦に残りたいのは誰もが考えていることである。 好調な時もあれば絶不調の時もある。麻雀は自分との戦いであると思い付いたのはつい最近。私はこう見えても激昂型である。それを表に出さずに平静を装っている。自分の心の

          開幕戦の前、開幕戦の後。麻雀は自在に打とう

          ドラ3があがれない時は暗雲立ち込める

          鳳凰位第1節A卓に参加しました。 みなさんの応援ありがとうございます。 2連続のラスを取ったところで▲60〜70を取ることになるだろうと思ったところで僥倖の親の国士無双のあがり。1日のマイナスを取り戻すことができたものの 「ツキがない時の国士あがり」 とはよくいったものでその後もいいところなしで終わりました。 結局は少しマイナスで済ませることができてホッとしています。 今回のピックアップは開局1回戦東1局のドラ3の場面を見ていこうと思います。 牌姿を取れば 三七七八 ③

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          ドラ3があがれない時は暗雲立ち込める

          やんちゃになろう

          私の人生史にはたくさんの失敗が詰まっています。 自分で言うのもなんですが、私のあだ名は「自由人」ではありましたが、 「クラッシャー」と言うのもありました。 「クラッシャー」は当時の2ちゃんねるに書かれていました。知らない方で言うなら、今で言うところの匿名SNSで話題になっていたと言うところでしょう。 クラッシャーというネーミングは私が麻雀店を作っては潰したりしていたことの表現で、2チャンネルで面白おかしく書いていたのだと思っています。 友人が「また2ちゃんねるに乗ってるぞ」

          2024年度決意 私の麻雀はいつも私を責める

          「あと何年生きれるか?」 そんなことを頭の片スミにおいて、また開幕が近づいてきた。 去年のことを振り返れば、自分にとっては不甲斐ない成績を感じ、自責の念が強い。アスリートと同じように自分の限界を感じつつ、今年はという思いが去来する。ピッタリと上位陣にくっつく。そして、鳳凰戦の決勝戦の舞台に上がりたいものだ。 「いいところは見せなくてもいい。」 今私たちの世代でA1にいるのは沢崎と私。 荒さんと優孝さん、前原はもうA1にはいない。 なんとかしがみついているが、自分の麻雀は

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          プロはどのルールでも勝たなくてはいけないのか?

          ずいぶん昔のことである。 麻雀ゲストで呼ばれた先で、先輩プロから 「どんな種目、どんなルールにでも対応してそこでも勝たなくてはプロ失格」 と言われた。 今私が思うに結論から先に言うとこの考え方には私は「No」だと言いたい。 理由を話す前に、少し私の事情を語ってから話を進めていこう。 先ほどの言葉を言われた時、私はその場では「頑張ります」と言ったが、私は十分に納得できなかった。 その時の私はいわゆる名古屋三麻を経営し、卓打をしていたのだ。 三人麻雀は1ゲームが早く終わる。そ

          プロはどのルールでも勝たなくてはいけないのか?

          ダブ東について

          「古川先生が子の第一打でダブ東切ってきたらどう思うんですか?」 と聞かれたので、書いてみようと思う。 昔ある麻雀プロの先輩が 「放銃したり鳴かれたら暴牌、反応がなければ好牌先打。」 と言った。ダブ東などはその最たる物である。 「昔はそんなものは切らない。今の若いものは…」 とたしなめられたものである。 親にダブ東をポンされてしまったら…他の2人はいい顔をしない。 私の場合はついている親にダブ東を鳴かれた時には自分で切ったとしても、他の人が切ったとしても、ダメだなぁと思う。

          古川孝次の私小説(3)

          しかし、私は大学に入る受験を控えていた。初恋の女の子は母の見立てた相手と結婚を控えている。 「こんな別れ方あるか」 とても残念であるが、どうにもならない。 そして私たちは人生の岐路を決めた。しかし私の頭の中では整理がついていない。そして月日が流れて大学の4年になる頃から、社会人になるために会社の内定を取り付けなくてはいけないということになった。私はデザイン会社に就職するための準備をしていた。 そんな中、下宿のおばさんが最近女の子から電話があり、うまく取り継ぎができないから、

          武石プロ何切る、古川孝次何切る。サーフィン打法の2ハン手役はどうするか?

          電話がなり、ふと出てみると相手は大橋幸正プロからである。 B1にいる伊藤鉄也プロが私に用事があるということ。相手からの電話を待たずにこちらから電話をかける。 伊藤鉄也プロはともたけプロのうち筋をとても参考にしている。とても打てるプロだと感心している。伊藤鉄也プロがいうには 「実は武石プロが麻雀の壁にぶつかっていて、私と麻雀がしたい」 とのことだった。快く返事をした。 当日、伊藤鉄也プロも同席し 「見ているだけですから」 と言ったものの 「せっかくだから入って欲しい。私も武石さ

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          武石プロ何切る、古川孝次何切る。サーフィン打法の2ハン…

          古川孝次の私小説(2)

          小学校の6年生になって、中学生に進学する話が出た。 父は当然の様に兄の通う私立中学に私も入るだろうと思っていた。 しかし、その中学の校則でボウズにされるということ。私は 「イヤダ!」 と普通の髪型にできる別の私立にも入れるでは無いかと駄々をこねた。 しかし、私の悲痛の叫びは通ず、小学6年生の反対運動は不発に終わる。 その後に高校受験。学力に不安があったのだが、周りの友達は高校の受験は形式的なもので落ちることはないと聞きホッとする。その通りに高校に入学。 次は大学入試である。

          古川孝次の私小説(1)

          私が小学校の高学年のとき「作文」というテーマで題は自由という宿題が出された。私も一生懸命文を作って、あくる時に持って行ったが、ある女子生徒の作文が1位になった。当時はあまり本を読んだ覚えはないが、作文で一等賞を取った女の子から借りて読んでみた。 冒頭、「ただいま」と言って扉を開けた音を「ガラガラピシャーン!」というような擬音が入っていてインパクトがあった。そうか、こんなふうにつかみを持ってくるとみんなが注目するのか!と考えたものだ。他の文は忘れたが、作文を作るにはまず人に注目

          古川孝次の私小説(1)

          私の麻雀人生を思い出しながら、昔の名古屋の麻雀事情について書いてみた。

          私の麻雀歴は牌を触っただけならば50年と言うことになる。50年という歴史についての是非は今回は問わない。大学に通う前に浪人中に覚え、大学に入り、上京。大学生の時にはほぼ毎日と言ってもいいぐらい、明けても暮れても徹夜も交えてよく触ったものだ。 社会人になってからも上司に誘われたのだが、ある日を境に全く誘われなくなった。 そしてフリーに通うようになる。当時のフリーというものは今も変わらず1人でいくものではあるのは当たり前なのだが、そんな連中は仲間内からつまはじきにされた人が集ま

          私の麻雀人生を思い出しながら、昔の名古屋の麻雀事情について書いてみた。

          チートイ、トイトイ、大三元

          よく聞かれる質問に 「トイトイはどうしたらいいですか?チートイかトイトイか迷う時があるんです。」 というものがある。 私は常々、トイツ進行をしている時に1つでも暗刻ができていたら、トイトイに向かってくださいと言っている。 ただのチートイだけの場合、すんなり聴牌してダマ聴。1600や2400というときもある。 しかし、それは置いていこう。 あるとき 六六②②5599白白中中発 こんな形でチートイだけでは…と聴牌を取らずに白をポンとかやってみたが、この形では流石に無謀かな…

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