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18年前の決意

2001年の今日(9月11日)、私は仕事でミネソタ州に居た。

これまで生きてきた中で、何度か生き方を見直すきっかけというものが訪れたのだが、これが恐らくいちばん最初の大きなきっかけとなった出来事だ。

ニューヨークで起きた事件直後に流れた出張先での館内放送の言葉が、今でも耳に残っている。

「この施設はテロのターゲットにはなっていない模様です。」

耳を疑ったけれど、館内放送は間違いなくそう伝えていた。

自分の人生の中でこんなアナウンスを聞くとは…
凄まじい違和感に戸惑った。

そしてすぐに思い出した。私はこの日ミネソタ州の田舎町に居たが、本来はニューヨーク州マンハッタンに居るはずだった事を。直前に予定が変更になり、初のニューヨーク訪問が立ち消えてがっかりして居た自分を。

もしニューヨークに出張していたら、9月11日の午前中は自由時間だったと思われ、きっと同僚達とワールドトレードセンターの展望台か、その近辺に行っていただろう。

もしくはアメリカの国内線で移動の日だったかもしれない。

どちらにしても、あの事件に巻き込まれた可能性がゼロではなかったのだ。

多くの同僚もアメリカに出張していたので、事件の一報を受けてその日誰がどこに移動しているかを考えるととても気が休まらなかった。また、カナダとアメリカの国境は閉鎖され、急遽帰りたくても帰れない状況に恐怖感が高まった。

事件の日から帰国までの間、お化け屋敷の様な古くて薄暗いホテルの部屋で、毎晩ニュースを見ながらひとり泣いていた。

その頃、私や同僚達は毎月幾度もアメリカ国内線を利用して居たので、この事件は他人事ではなかった。面識はないものの関連会社の社員が搭乗していた飛行機が巻き込まれた事も判明し、テレビで流れる映像の全てを自分や自分の同僚に重ねてしまったのだ。

結局予定通りに10日程ミネソタ州に滞在し、無事カナダの空港に降りた時の安堵感はこの上なかった。

機内の空気はピーンと張り詰め、いつになく冷たく静かだった。誰かが席を立つ度に乗客全員の目線は釘付けになり、一挙手一投足を見守っていたのが忘れられない。

そして、やっと実感した。

2001年9月11日にマンハッタンに居たはずの私は、別の地に居て無事だった事を。

私も乗っ取られた飛行機の乗客のひとりだったかもしれない。
私もワールドトレードセンターに居たひとりだったかもしれない。

今日は無い命だったかもしれない。

そんな実感を経て、私の中で何かが変わった。

嬉しい時、感謝の言葉はすぐに伝えよう。
感動や賞賛の気持ちもすぐに伝えよう。
嫌な事をされた時も、必要とあらば相手にすぐに伝えよう。

後で伝えようと思っても、間に合わない事もあるから。

子供の頃から気持ちを言葉にするのが上手ではなかった私だが、感謝や賞賛をすぐ伝える事は抵抗なくできる様になった。

親にも生んでくれてありがとうと伝える事ができたのは、9/11の経験があったからかもしれない。

一方、嫌な事をされた時に伝えるのは難しく、100%できた試しはない。それでも、伝えた方が良いと思う時はできる限り伝える努力をする様になった。

私がされて嫌だった事を伝えた時、「9/11で何が変わったかしらないけど、随分勝手な事を言うね」と言われ連絡が途絶えた人も居たが、自分の為に言うべき事を言えた喜びの方が大きかった。(後にその人から謝罪の連絡があった。)

2012年には、慰霊碑が建てられたワールドトレードセンターの跡地を訪れた。刻まれた全犠牲者の名前を見ながら涙する人を横目に、居た堪れない気持ちになった。

ちょうどその前年、東日本大震災が発生した際には日本に一時帰国中で、知人を尋ねて仙台を訪れる予定の前々日に地震が起きた。その日、私は都内で足止めを食らうも、9/11に続いて無傷…

何の因果なのだろうと9/11と3/11を思いながら、ワールドトレードセンター跡地で誰しもが突如この世から姿を消す可能性がある事を改めて考えた。

私が今、毎日を丁寧に生き、命を使っているかと言えば、恥ずかしい事にそうとは言えない。けれど、感動や感謝、賞賛の言葉はその都度伝えると言う心懸けはずっと続けている。

そして毎年この日には、その決意を新たにする。

私のnoteを読んでくださる方々にも、改めて感謝の意を表したい。
貴重なお時間を費やしてくださり、ありがとうございます。

aloha & mahalo!

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