見出し画像

【対話企画】幸せに生きるには。エピソード2

前回に引き続き「幸せに生きるには」をトークテーマに話します。
まだ前のエピソードを読んでいない方はそちらからご覧ください。


メンバー紹介

Maho
今回の企画者。本を読むこと、文章を書くことが大好き。難しげな単語を使うので、2人から歩く国語辞典といじられていたような覚えがある。(2年前にしてすでに朧げ…)
以下私の独断と偏見で書いたメンバー紹介です。

カンナ
ポジティブ思考の元気っ子。クラスでは委員長キャラらしい。確かに、しっかりもの。

ユウ
普段は落ち着いているように見える。リラックスしてるとお茶目。おばあちゃんっぽい包容力がある。

それでは本編へどうぞ!


多数派少数派へのイメージ

<ユウ>
多分今世間でさ、多数派とか、大衆ってそこまでいいイメージを持たれてなくない?没個性的なみたいな。もちろんその、そこにいるひとはちゃんとしているのはわかるけど、なんやろ

<Maho>
有象無象になるかんじ?

<ユウ>
そういう、意味で使われることが多々あるじゃないですか。

<Maho>
そっちに目が行くんやな。なんか、(あなたは)多数派へのマイナスイメージの方が印象として強いんかなって思ったんよ。
私は凄い、多数派になろうとしている(少数派の)人が印象に残るんだよね。というかそもそも多数派へのネガティブな印象があんまなかったと思う。

<Maho>
多数派少数派どっちがいいと思う?
その、世間として、どっちがいいとされてる(と感じる)かと、自分がどっちがいいかと。

<カンナ>
世間的には日本人の同調圧力みたいなもんがあるから、多数派の方がいいんかなって思うけど、小説の主人公とか映画の主人公とか(で見るような)少数な生き方もかっこいいなと思う。

みんなと違う自分らしさが欲しい、でも、少数派にはなりたくない。

<Maho>
最近思ったのは、少数派が最初から自覚して少数派じゃないってこと。
大多数になりたくないってのはずっとあって。私は変な人に憧れてる。悪口としてじゃなくて、変で面白いなって思われたい。そういう意味では多数派からの逸脱を望んでるんだと思う。
けど一方で、例えばやっぱ、全日制に通ってないとか。好きになるの男でも女でもいいなって思ってるのは別にそれは私の日常だし、悪いことだとは思ってないし、別にどうだっていいじゃんかと思ってるけど、事実マイノリティではあって。最初はなかったのに恐怖がある。そういう意味では多数派から逸れることを恐れてる。

<カンナ>
自分多分、ちょっと、まほちゃんと似てて、割と人と違うことをしたいとは思ってるんだけど。
他人から評価される時に、2パターンあると思ってて。みんなと同じがいいと思ってる人と、みんなと違うことをしたいと思ってる人がいると思ってて。自分は人とは違う。自分自身だ。って思えることが幸せなのか、みんなと一緒、なんていうんだろ、その、

<Maho>
おんなじ事の安心感?

<カンナ>
そうそう、で、幸せと思うのか。自分は割と違うことがしてたい。

<Maho>
生きる上で、安定した日常とちょっとの刺激、スパイス、ていうのが一般に人間が満足する生活だと思うの。
そういう特性の中で、「周りとの安心感を求める人」は何をスパイスに生きるんだろうな。違うことをすることはそれはスパイスになりうるじゃんか。
「安心感を求める人」は凄いモノクロに思えるんだよね。そこで、日常生活を送る上で、何に心を躍らせるのかというか。スパイスを何に感じるか、私には想像がつかない。

<ユウ>
それが趣味とか、特技とかそういうことじゃないの。自分の興味のあることが何かしらあると思うやん。そういうのを極めたら人よりもこれが得意とかこれをよく知ってるとか、ちょっと人と違う存在になれるし。だから初めて行く学校で自己紹介をするときも自分のアイデンティティを主張できる道具になるわけやん。
それだけを本当にとことん突き詰めようとすると多分多数派から少々逸れていくと思うんやけど。

<Maho>
何も持ってないわけじゃないんか

<ユウ>
それはそうやねん。

<Maho>
そういうふうなことを考えると、多数の人と、少数の人(と言う分け方)じゃなくて、程度の差になる。

<ユウ>
だから世間的に見るのが難しいかも。分野ごとにさ。世間的な多数派って言われると難しくない?

<Maho>
感覚としてわかることで言うと、例えば隣のクラスの〇〇さん普通のいい子だな。と思ってたとして、次の学年で、隣の席になって見たら、なんだこの子(変わってるな)。みたいな感じかもしれない。

線引き


* ちょっとした刺激を求める一方、人は大きな刺激(変化)を嫌う傾向にある。わからない、自分とは大きく違うことについて過剰に防衛することがある。と言うことを黒船の来航と攘夷を例に話した。

<Maho>
なんでそんな、線引きをしてしまうんだろうか。
話してると、(多数派と少数派が)別のものだみたいな線引きをしてしまったことに気付いたんだけど、なんでなんだろうな。

<カンナ>
さっきまほちゃんがいってた(*)、黒船が来た時とかは、多数派と少数派で、少数派は白人で、多数派は黄色人種って、パッと線を引くことで自分は多数派だ、だから大丈夫だっていう。安心感を求めてる。

<Maho>
確かにね。一種の防衛機能としての線引きというか。

<カンナ>
線を引いている人は多数派が多いかな。って。

<Maho>
いや、なんか、(私が直面している)社会問題としてホットな問題。LGBT、不登校、なんでもそうだけど。石を投げられたこと、お前不登校なのかよ、なんて言われたことはない。けど、実感として、ああ、(自分は人と)違うんだ。っていうのを凄い感じる日々だったからさ(去年1年)。
そういうので、やっぱ線引きをすることで、違うからしょうがないんだて(思おうとした。)
多数派、少数派で分けた多数側にいる人は自分はみんなと同じなんだていう安心を求めて線引きするし、少数側で線引きした人は、諦め、受け入れで線引きをするのかな。
自分は違うんだって言うのを受け入れて進もうとする。

まだまだ話は続きますが、続きは次回の記事で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?