見出し画像

あなたがゆるすべき人

現代のヨガは、健康やダイエットのために取り入れる方も多いですが、本来ヨガの目的は、悟りを開き、さまざまな苦しみから解放されていくことにあります。
そのための道筋として、『ヨガ八支則』というものがあります。
八支則の中には、日常生活の中で避けるべきこと(ヤマ)追求すべきこと(ニヤマ)があり、それを遂行することは簡単ではありませんが、そうあろうとすることはとても大切で、人生の質を向上させていくものだと感じます。

ヨガを学ばれた方であれば、「知っている」ことだと思います。
私も「知っている」けれど、日常に深く落とし込めているか?というと、そうでもないな、、、と思うので、自分のためにもまとめていこうと思います。

『アヒムサ』

避けるべきこと(ヤマ)の中の一つ、『アヒムサ』は、「傷つけない」「非暴力」という意味です。
日常生活の中で、他人に暴力を振るっているか?というと、自分はやってないから大丈夫!と思われる方が多いかもしれません。
けれど、暴力は「身体」に対してだけ振るうものではないですよね?

他にはどんな暴力があるでしょう?

「言葉」もそうですよね。
「言葉」は人を喜ばせることもできますが、深く傷つけてしまうこともあります。
同じことを伝えたいのに、「言葉の選択」「伝え方」で相手には全く別の形で届いてしまうものです。
こちらの意図を正確に伝えようとしても、なかなか相手に伝わらず、徐々に言葉のチョイスを誤ってしまったり、語彙が荒くなってしまったりして、返って相手を萎縮させてしまうこともあるかもしれません。

他にはどんな暴力があるでしょう?

「思考」もありますね。
「あの人は〇〇だ。」とジャッジしてしまうこと、誰でもあると思います。
自分以外の人や物と自分を比較することで、今置かれている状況を把握する側面があるので、仕方のないことかもしれません。
ただ、そこに自分なりの「正しさ」や「正義」がある場合、その価値観にそぐわない人に対して、「間違っている」という批判の目で見てしまうことはないでしょうか?
それを心の中で思うだけではなく、直接伝えたり、SNS上で誹謗・中傷してしまう人も少なくないです。

そこにある「正しさ」の正体は何なのでしょう?
私は、その大元に「怖れ」があるのではないかと思います。
自分とは違う考えを排除することでしか自分を保つことができない心理状態にある人が一定数存在するのではないでしょうか?
その強い「怖れ」が他人の思考を侵し、深く傷付けてしまうことをいとわないとなると、それは歪んだ思考と言えると思うのです。

私は、「正しい」or「正しくない」ではなく、「好き」or「好きではない」で判断することをオススメしたいです。
好みの問題だとすれば、自分の「好き」を大切にすればいいし、「好きでないこと」にそれほど関心を寄せる必要もないのでは?と思うのです。

それぞれの思考が自由であるからこそ、「あなたはあなたのままで大丈夫」かつ「他人の思考もそのままで大丈夫」が成り立つのだと思います。

私は日々、ジャッジを手放していきたいと思うのです。
ですが、振り返ってみると、ジャッジしちゃってるなーと気付きます。。
「課題の分離」できるようになりたいものです。

今回は、「アヒムサ」について考えてみましいたが、幸福感で満たされている人は、おそらく敢えて他人を傷付けるようなことはしないと思います。
どうしても他人に気持ちが持っていかれ、批判したくなる人は、本当は自分が一番傷ついているのかもしれません。
他人ではなく、「自分をゆるす」ことができたら、大きな一歩になるのではないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?