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かっこいい宇宙人について

子供も見れるような設定のSF映画でよくある一幕として、宇宙人とか虫とか、人間以外の生き物が擬人化されたときに、あの彼はハンサムねとか、彼女はグッドルッキングだとか、そうやって言ったり言い合ったりするシーンがあるじゃないですか。で、それが我々人間の視聴者に対してはある種のジョークとして機能している、みたいな。いや、この生物のハンサムとかわかんないし、っていう心の感想が笑いになるみたいな。我々人間には、宇宙人の美醜の基準がないからで、それは単純に宇宙人の顔を見た総量が少なすぎるってことなのだと思います。

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相場観って僕はよく言うんですが。あるものごとを自分が「好きだ」とか「嫌いだ」とか、何で思うようになるかっていうと、それをしたときに思うと思うんです。要するに、やったことないことを好きとか嫌いとか思えないってことで、いやいや直観的に思うこともあるやんっていう人もいるかもしれないけどそれはきっと、過去の類似する経験からその物事から得られる自分の体験を類推して、「なんか怖そう」「おいしそう」とか、判断を仮にしているってことなんだろうなあと。何がいいたいかって、判断が先か経験が先か、で言ったら絶対に経験が先だよなあって話で。僕たちは宇宙人の経験が圧倒的に少ないから、映画の中で宇宙人が「彼女はキュートだ」という、判断の結論だけ言われても、それが笑いになるってことなのだろうなと。

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昔、会社のマーケティングの先輩に、「自分が気になる存在を、立て続けに、経験しまくれ」というアドバイスをもらったことがあります。例えばアップルパイ好きな僕が、来週から毎日、最高級のものからめっちゃ安いものまでアップルパイを食べまくると。そうすると、アップルパイの美醜が自分の中で顕在化するわけです。りんごより皮のほうが大事だなとか、シナモン有無がすべてを変えるなとか、焼き寄りなのか煮寄りなのか風合いの流派があるなとか。他者から聞く話で面白いあと感じる話はそう言った、自分の中に「相場観」が存在しない領域の話を、マニアックの深さで嬉々として話されるときなんだよなと思うわけです。で、たぶん、「立て続けに」っていうのが大事で、たまーに食べる、とかだと、感覚が薄まって、差異が顕在化できず、なんとなく「アップルパイはうまいなあ」で終わっちゃうってところかと思います。立て続けにインプットして差異を顕在化させて、そのトピックに相場観をもつ、っていうことが、みうらじゅんさんとかがやっている「マイブーム運動論」の正体なんだろうなと。

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宇宙人の美醜の相場観が立ち上がるくらい、宇宙人の映画を見まくればもしかしたら、「あー確かにこの宇宙人は目鼻立ちがイケメンだね」とか、そういうことが言えるようになるってことですな。ほら、みうらじゅんっぽいよねw

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