見出し画像

ダイエットに関するnote記事書いてよと言われたので代わりにこんなことを書いてみる

先日、自分のFacebookのタイムラインで、体重が減った話を書いたら、知人から「ダイエットのこともnoteに書いてほしい」というリクエストをいただきました。

が、結局書かないことになりそうです。書くとしても前回書いた10進法のような見方を変えた記事か、日記レベルのものでしょう。

何故か。大げさに理由を言えば、それは書き手としての矜持です。

noteを含め公的なWebメディアに書く記事には、
①(多くの人が興味を持つであろう内容という意味での)社会性
②(皆の利益・健康・気分を害さないという意味での)公共性
③(ある程度の根拠を持っているという意味での)正当性
④(記事がノウハウ系であれば)再現性
⑤(ほかの誰でもなく眞山が書くことの)必然性
…が必要だと思っています。

報酬をもらって記事を書くライター業もやっている僕としては、出来る限りこの矜持は外したくないのです。

※…noteの中には誰にとっても読む価値のあるノウハウ的なものもある一方で、日記的なものも多くあります。僕の記事にも日記はちょこちょこありますが、後者の場合は上記5要件にこだわってません。ちなみにそういう場合、「〇〇日記」などのタイトルをつけたり、「UoP」などの頭文字をつけることで、お友だちや関心ある読者にだけ届くように配慮しています。

言うまでもなく、僕はフィットネス関係の知識は素人レベルです。だからこの5要件のうち、「必然性」を満たすことは難しいと思うから、ダイエット記事は書きません。

なんでわざわざそんな矜持を持ち込んでいるかというと、そういった記事をある意味無責任に書くことによって「しょーもないレベルのダイエット情報」がネットに加わってしまう。その結果として困るのは、結局読み手たる私たちだからです。

現代社会は情報があまりに多すぎるわけですが、その主たる理由がこの「矜持なき情報」だと思っています。僕の経験上、矜持なき記事は、上記5要件のうちどこかに欠落があると思っています。そして残念ながらダイエット記事のほとんどが、それ。

試しに当てはめてみましょうか?

①社会性は確かに高い

…確かに、ダイエットやら減量やらという言葉には不思議な魔力があるよな~、と感じます。

プレゼンテーションの専門家として、名古屋の小中学校で授業をさせていただいていた時期がありました。その頃は週に1~2日ずついくつかの学校を回って子どもたちに授業をするのに加えて、年に数回先生方向けの研修をしていたのですが、その時にチラッとこんな話をしたのです。

「人の成長や変化は実は意外と気づかないところで起こるものです。そしてそれは、接触の頻度が高いほど、気づきにくいものです。毎日顔を合わせている子に対しては実感しないけど、たまに親戚の子に会うと『大きくなったね』と心底思うのもそのためです…現に、私実は先生方に初めて会った4月から8kg痩せたんですけど、毎週会っているせいで全然気づいてないでしょ?

会議室内に沸き起こるどよめき。

そして、その日の職員室で僕は「どうやってそんなに痩せるの?」という、プレゼンとはまったく関係のない質問を多くの先生から浴びました。さすがのあの時は家庭科と体育の先生に聞けばいいじゃん、と思いました。

このエピソードは、ダイエットというジャンルが多くの人にとって関心があるものであることを裏付けています。

②公共性は乏しい

しかし、ダイエットに関する情報すべてに「公共性」があるかというと、疑似科学にまみれていたり、根拠に乏しかったり、相互に矛盾するものが多いのも確か。ダイエットに関する情報は巷に溢れすぎていて、何を信じればいいのかさっぱりわからない、という気持ちにさせられるのも確かです。

たとえば、世の中には「8時間ダイエット(=16時間ファスティング)」といって、1日のうち16時間を何も食べない時間にしましょう、というメソッドが存在する一方、「1日2食にするよりもこまめに分けたほうが良い」という手法も存在します。

これらの相反する手法のどっちを採用するか?は情報の受け手にゆだねられているわけです。その時点で健康を害するリスクをはらんでくる以上、ダイエットの情報は公共性が低いものが多い、といったん言わざるを得ない。

③正当性なんてない

例えばさっきの①社会性で、こんなことを書きました。

このエピソードは、ダイエットというジャンルが多くの人にとって関心があるものであることを裏付けています。

でも本当は僕のエピソードなどは、エビデンスとしては不十分なはず。

ダイエットの記事はそういう根拠薄弱なものがほとんどです。最近、とある国の医師が書いたとされる本があるのですが、その本のPR記事を見る限りではエビデンスらしきものが一切載っていないように見受けられました。

そして、正当性らしきものを与えるための口コミとか成功事例があまりにも多いのもダイエット情報の特徴と言えます。

④再現性はある…ようでない

ダイエットに関しては「これならできそう」なノウハウが多いので、一見再現性は高いでしょうね。ただそれは「何に取り組むか」というインプットの再現性であり、それをまねたからと言って「何kg落とせるか」というアウトプットがそのまま再現できるとは限りません。

⑤必然性もまやかしでしかない

前述の通り、この部分で僕はダイエット記事を書く資格がない気がしています。

だって、その手の記事を書くならフィットネスの専門家とか医師とか栄養士がやるべきでしょ?と思っていたわけです。しかし、実はそれらの専門資格の持ち主が、ちゃんと正当な情報を提供しているかというと、必ずしもそうではない(というかぶっちゃけほとんど正当性はないと思います)。

例えば「医師」は基本的に栄養学の専門家ではないので、医師が勧めるダイエット法は限りなく「個人の感想です」に近いです。実際のところ、医師によるダイエット本はなぜか「私が痩せました」という個人的なエビデンスが多いです。

…とどのつまり

ここまで書いたことをざっくりまとめるとこうなってしまいます。

ダイエット系の情報は①社会性の高さに着目した企業や個人により、②~⑤のレベルが非常に低い情報が氾濫した状況にある。

完全に余談ですけど、その手の記事に出てくることが多そうなモデルさんをこの記事の写真に使ってみました(あ、とーぜんこのモデルさんには罪はないですよ。念のため)。

そして、なぜそれがまかり通るかというと、マーケティングの標的とされているのは残念ながら情報リテラシーが「ほどほど」の人たちだから。

ちなみに、冒頭に書いた、僕にダイエット記事を書いてくれとリクエストをくれた知人いわく、記事を書いてほしいのは『よく知っている人のノウハウなら信頼できるから』と言うことのようです。

確かにリテラシーの高い人は、「この人の情報なら参考にし得る」という指標を持っており、かつ「どこまでを鵜呑みにし、どこからを話半分に聞くか」を心得ているように思います。

いっぽう、平積みされている本に飛びついて何となくダイエットを始めている人は、気を付けてくださいね。

生活習慣は腹に出る、と言いますが、
情報リテラシーは「どんなダイエットしてるか?」で見えてしまうもの、なのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?