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実はお金の「知識」だけでは貧困は抜け出せないという話

数年前、クラウドファンディングで「お金の教科書」を出版させていただいた。関連記事はハフポストに載っている。

これは、皆さんから集めたお金で教科書を作り、それを出資してくださった方にお届けするのはもちろんのこと、子ども食堂や児童養護施設にいる子たちに寄贈しようというプロジェクトだった。

貧困の連鎖を止めるためには、正しいお金の知識を持つことが大事だという思いは、あの頃からさして変わりはない。しかし、ここ10年くらいの自分自身のお金に関する営みの変遷を思い返したとき、必要なのはお金に関する知識だけではないという気持ちが徐々に芽生えつつある。

なぜか。
その理由には自分自身が比較的貧しい家庭に育った経緯が大きく関連している。

気になる方は、読んでみて。

僕が社会人になるまでの経緯をざっくりまとめると、こうなる

わが実家は、元々決して裕福とは言えない家庭ではあったが、特にそれに不満を抱くこともなく過ごしていた自分。しかし、高校3年の11月に、突然父親から「勤め先がつぶれた」と言われ、大学のある時期を新聞配達をしながら過ごすことになった。

辛かったし苦しかったが、今となってはそういう気持ちよりもむしろ、新聞奨学生の仕組みや、牛丼をご馳走してくれた優しい先輩たちのお陰で大学生活をなんとか謳歌出来たことに心底感謝している。

しかし、激務は激務。さらに言えば、配達の隙間を縫う形での履修登録ではそもそも単位がギリギリで、学びへのモチベーションを保ちきれなかった僕は、あえなく留年してしまうことになる。

せっかく入った大学で、満足の行く成績を残せない自分。この状況を打破するには資格しかないと思った僕は、当時たまたま面白さを感じていた簿記検定の勉強にのめりこみ、そのまま公認会計士を志すことになる。

とはいえ苦学生という身の上は変わらない。新聞配達を辞めて奨学金を借り、深夜勤のバイトをしながらのダブルスクールは過酷そのもので、実に合格までに4年半を要した。

資格を取り就職を果たすも、幸せにはなれなかったのはなぜか

多くの人に支えられてようやく突破した公認会計士試験。そして僕は大手監査法人に就職した。

この時点でようやく、収入面では人並みの社会人が出来上がったわけだが、今思えばこの時に、すっかり自分の中に悪い習慣がこびりついていたのだ。

それは何か。端的に言えば、
「お金の流れを憎む気持ち」
である。

この思いはたぶん、貧困層にいたことがある人でないと理解できないと思う。

  • 毎日のように財布を除いてはため息をつく親を見る。

  • 給料日が来ても「ほんのこれだけか…」とがっかりする親を見る。

  • むしろ毎月の返済や公共料金の支払いのたびに苛立つ親を見る。

  • 時には小遣いを渡しながらこちらに八つ当たりしてくる親を見る。

もちろん、親は親だ。そう簡単に嫌いになどなれない。
少なくとも僕の親は、経緯があって辛い境遇を過ごさざるを得なかっただけで、生活破綻者でも人格破綻者でもなく、むしろ人間として尊敬できる親であった。

それでも、そんな親のお金との向き合い方を見ながら20年暮らしていると、「ああ、お金っていやだな」という価値観が、立派に刷り込まれていく。

そしてその刷り込みは、大人になってからもなかなか取り除けない。

結果、どうなるか。
大きな傾向を書くと3つに集約される。

傾向①…残高への憎しみ

まず、これだ。

今あるお金がそもそも憎いのである。より厳密に言えば「残高がこれっぽっちしかない」ことに対する憎しみと言ってもいい。

こんなに仕事をしたのに、これっぽっち。
同級生はあんなに稼いでいる(←想像にすぎない)のに、これっぽっち。

そして、そういう思いがあると、浪費につながっていく。

これっぽっちという現実を妄想で埋めるためには、今ある分で散財をしてリッチな気分を一時的にでも味わうのが一番だからだ。生活破綻者がギャンブルにのめりこむのは、一獲千金を狙うからではなく、そもそもこういった思いが根底にあると個人的には思っている。

幸い僕自身は生活の破綻に追い込まれるほどの浪費をすることはなかったが、お金を使いこむことでストレスを緩和しようという習慣がそこかしこに出てしまい、なかなかお金が貯まることがなかった。

傾向②…支出への憎しみ

次はこれだ。

おそらく多くの方に共感してもらいやすいのはこの部分だろうとは思うが、ちょっと中身は過酷だ。

単に「支払うのが嫌だ」ではなく、お金を支払う時に、相手に対して憎しみの気持ちが湧くのである。自分のなけなしのお金を奪っていく相手を憎む気持ちだ。

電気代、電話代、家賃、奨学金の返済、給与から天引きされる社会保険料や税金など、ありとあらゆる支出が憎い。

もちろん電気も電話も家賃も、利便性を享受しているからこその出費なのだが、そんな思いはみじんもない。ただただ、持たざる者から奪い取っていく「支出」そのものを憎むのである。

そして、そこに①に書いたような浪費が加わると、時として公共料金のような支払って当然の支出にも窮することがある。そして、最終的に浪費にのめり込んだ自分をも嫌いになっていく。

傾向③…収入に対する嫌悪感

こうして傾向①②を経てきた人は、自己肯定感がどん底の状態に陥っていく。自己肯定感が低いということは、とどのつまり自分の評価が低いということだ。だから、お金を受け取ることに対する抵抗が強い。

実は独立してしばらく苦しんだのが、自分の値付けだった。

強気な値付けをすることは、自分の強欲さを示しているような気がする。いやそれ以上に、たくさん受け取ってもまたどうせ無駄遣いするだけだし、そんな自分にこんな値段をもらう価値なんてないし…という思いが邪魔をして、一般的な相場に沿ったごく普通の見積り書しか作れない。

ましてや請求書を作る作業には罪悪感しか感じない。

理由は単純だ。
請求書を受け取った自分があんなに相手に嫌悪感を抱くなら、相手もまた自分に嫌悪感を抱くに決まっている、と思うからである。
そんな当時の自分の作った請求書を見返すと、今になって「その5倍とれたな」と思ったりすることが珍しくない。

ともあれ、こうして冒頭①に書いたような「これっぽっちの残高しかない」という憎しみを、自ら生み出していくようになる。

そんな僕を救ってくれた3つの存在

公認会計士という資格を取っている人間なら、正当な報酬はしっかりと請求し、支出をやりくりして、着実に残高が積み上がっていくはずだ。

…僕自身もそう思っていた。会計士にさえなれば、すべて好転すると。
でもここまで振り返った通り、決してそんなことはなかったのである。

僕は独立してからもかなりの期間、上記のようなマインドに起因してお金というものに散々苦しめられ、時には家計をピンチに追いやってしまったという苦い思い出がある。

そんな悪循環から抜け出せたとはっきり自覚できたのは、皮肉にも冒頭に紹介した「お金の教科書」を出してから1~2年を経たころ。つまりつい最近のことである。

悪循環を抜け出せた象徴的な出来事を3つ挙げるとしたら、こんなところだろう。

存在① 心優しいお客様

独立間もないころ、自分が提示した見積もりを一笑に付して下さったお客様が何社かあった。

お客様「というわけで研修してほしいんやけど、なんぼ払ったらええの?」
眞山「…3万円で良いです」
お客様「んなあほな!30万にしときなはれ」
※本当にこのやり取りをしたことがあります

自分の本来の価値をお客様側から提示してくれ、それを喜んで払ってくださった経験があるからこそ、
「自分はそのお金をもらって良いんだ」
「このお客様の想いに報いるためにも、他社様からもちゃんとお金をもらおう」
という気持ちになれるようになった。

心ある経営者の皆さんにお会いできたことが自分にとって最高の幸運だったことは言うまでもない。

余談だが、さっきのお客様には
眞山「今年も30万でお願いします」
お客様「あほ!偉くなったんやから70万にしとき!」
と、未だに言っていただけている。

存在② 会社とスタッフ

昨年、いわゆるプライベートカンパニーを立ち上げた。

存在①のような会社がいくつか現れたおかげで収入が充実したとき、ちゃんと経費管理をしようと思って立ち上げた、個人事業主の法人なりのようなものである。

YouTubeチャンネルをしっかりとスタッフを固めて運営しようと思い、自分が得た収入からしっかりと報酬を払ってあげたかったので、法人を持つことが税金面でもメリットがあった。

自分の動画を企画してくれ、編集してくれ、チャンネルの成長を喜んでくれるスタッフに対する支払いをするようになって、お金を「感謝とともに支払う」ことを、おそらく生まれて初めて実践した。

そしてその根底として、①のように十分な報酬を支払ってくれるお客様の存在がやはり大きい。

存在③ 家族

以前、一度だけ金を無心した時の父の言葉を挙げたことがあるが、今日はあえて妻のことを挙げたいと思う。

妻なくして今日の僕は存在しえない。
(エビデンスはないものの、たいていの夫はそういうものと思うが)

監査法人にしがみついていれば安定した給料の元に暮らせたものを、無謀にも独立したいと申し出たときに、しばらく逡巡はしたものの最終的には受け入れてくれた。独立した後はビジネスパートナーとのトラブルがあり、家計はかなりひっ迫した。もちろん不安や不満は聞かれたが「だから独立しなければよかったのよ」とは決して言わないでくれたことで、自分が「もっと踏ん張らなければ」と何度も決心しなおすことができた。

また、もともとお金の管理が上手な妻は、僕の浪費癖に対するブレーキを上手に効かせてくれた。野放しにするでもなく、かといって完全に財布を支配するわけでもなく、「今じゃないんじゃない?」「確かに高いけど長く使うならアリだと思う」と、是々非々のコメントをその都度くれたことが、大げさに言えば自分のお金の使い方のリハビリテーションになっていたことは間違いない。

まとめ:お金と幸せに付き合うために必要なこと

と、ここまで自分語りを続けてきた。

残高・支出・収入という、お金のすべての局面を憎んでいた自分が、そのサイクルを逆転させて
・喜んで支払うことができる
・ありがたく受け取ることができる
・残高を見て「俺頑張った!」って思える
ようになるために必要だったのは、とどのつまりたくさんの愛だったと思う。

もっとも、これはあくまで僕というN=1の話でしかない。

反骨心をむき出しにして成功した人や、反面教師をうまく利用した人など、お金との付き合い方を大きく変えるためのルートは、実は人の数だけある。ただ、そういう人たちも最終的には、
・喜んで支払うことができる
・ありがたく受け取ることができる
・残高を見て「俺頑張った!」って思える
マインドを手にしていることは共通している。ルートはバラバラでも、ゴールはおおむね同じなのだ。

だから無理に僕のまねをする必要もないし、まねをしてもうまくいくかは保証できない。

ただ、少なくとも、この記事を読んでいる人が
・お金に対して苦しい思いを取り外せない
・稼いでいるはずなのにお金が貯まらずヤキモキしている
・周りと比べてお金の面での劣等感を感じることが多い
…という思いを抱えているとして、そんな方に僕の体験談が少しでも役に立つものであったなら幸いである。

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