自分が30年間ほど"メンタル引きこもり"状態だったとようやく気づいた話

#後天的発達障害 #グレーゾーン #親との確執 #親ガチャ

私は、子どもの頃の通知表に「クラスのムードメーカー」と書かれたり、それなりに普通に人付き合いをしてきた。
インフルエンザ以外で学校を休んだ記憶もない。
よって物理的な"引きこもり"には一度もなったことがない、のだが、どうやらメンタル的には物心ついたときからずーっと、引きこもり状態だったのだ、と、最近自覚した。

自覚したきっかけは、心理士の方に週一で半年ほど話を聞いてもらったこと。
初めは漠然と、「自分は自己肯定感低めだから、それを何とかできればな」という思いから、軽い気持ちで話を聞いてもらっていた。
まさかこんなに効果があるとは。

カウンセリングでは、自分の話したいことを、思いつくままに話した。それに対して心理士が思ったことを言う、という感じ。
その中で、以下のようなことを言われた

---------
①あなたは「どうせ自分なんか」という思考を強くもってるようだ。

②どうせ自分にはできない、と、色々なことから逃げているのでは。

③幼い頃に親友が去っていったことや、母の死などがあってか、大切な人を失うことを過剰に恐れている気がする。
-------

前に自分が読んだ「愛を伝える5つの方法」という本に、人間は誰しもラブタンクなるものを持っていて、それが満杯になれば、その人は溢れた分を愛情として他者に与えることができる(この本の本題は全く別の部分なので、ラブタンクの仕組みについてだけ抜粋。確かこんなような説明だったと記憶してるけど違ってたらすみません)と書いてあった。

カウンセリングで言ってもらったことと、本の内容を踏まえて、私が幼少期からこれまでの自分を自己分析したら、自分でも意外なことがわかった。

私は幼児期に、母から「お前は姉ちゃんたちと違って、橋の下から拾ってきた子なんだよ」と言われた(→普通に産んでるので、なんでこんなことを言ったのか不明。おそらく単なる悪ふざけ)。
他にも「産むまでてっきり男の子だと思ってた」、「男だったらよかったのに」と言われたこともある。

幼児期に言われた嬉しい言葉やシーンは何も思い出せないので、上記の言葉はよっぽどショックだったのだと思う。
定かなことはわからないけど、このようなことがあって、私は

自分はいらない子

という考えを持つようになったと思う。

誰が悪いわけじゃないけど、3〜4才の頃にあったそのことが、私の生きづらい人生の始まりだったのかもしれない。

親に愛されてないと感じた私は、その後に与えられる愛情をことごとく受け取らなかった。自分のラブタンクなるものに無意識で蓋をした。たまに親に優しくされることはあっても、どこか胡散臭く感じたり、裏があるように感じた。
叱られると、「私のことを嫌いだからそんなに怒るんだ」と感じた。
今は、叱るというのは愛情ゆえの行動だと理解できるけど、その頃はそんな風に捉えられなかった。
怒られる→自分を嫌いなのだと悲しみ、ふてくされ、当てつけに何も改善しない→また怒られる、、とループ。成長しないどころか後退していく。これが自分が発達障害気味になった流れだった気がしている。

1番身近な親に対してそうだから、他人は言わずもがなで、思えばずっと根っこは人間不信だった(最近になってようやく自覚)。
どこからの愛情も受け取れず、私のラブタンクはいつも満たされていなかった。

たまに自分の至らない点を、誰かが良かれと思い指摘してくれることがあったけど「この人私を嫌いなんだ」と判断して即座に距離をとった。

結果、誰からも何も学びを得ることがない。だから深刻なコミュ症・世間知らず・常識知らずとなっていく。人間関係からの学びを得ることはないが、学問は学校に行ってれば身につくので、結果、頭はふつうに良いのに… な奴になる。

人から愛情を受け取ったことがなく、人付き合いで傷ついた記憶は鮮明に残ってるので、無意識で人が怖い。だから人と関わりたいと思えず、人に興味が湧かない。だから、人の感情が読めない、共感力も育たない。

恋人ができても、無意識に「人への怖れ」「強すぎる承認欲求」があるから、重くなりすぎたり、相手を信頼できず試すようなことをしたり、はたまた「こんな自分を好きだなんて、この人見る目ないな、気持ち悪。」となったりして、自覚なしに自分から関係を壊していった。

思えば、自分はいらない子なんだ、と勘違いしたあの時から、ずーっとひねくれ状態、万年反抗期。近寄ってくれる人の手も払い除けて、どうせ自分なんか、とうじうじして、一匹狼を気取って、そんな自分にアイデンティティを感じて、酔って。

私は(今現在も)遅刻魔であり、忘れ物多く、共感能力がない、常識がない、空気を読まない、スリルを求める、というところがあって、上記の自己分析が全然できてないときは、単に生まれつきの発達障害(注意欠陥とかADHD?)と思ったりしたけど、要は単純に人間関係してこなかったから身に付かなかったのと、ダメな自分だから親に注目してもらえると思っていたことが要因かと。そのうち「ダメな自分」「周りと違う自分」にアイデンティティを感じるようになって、そういう自分を表面上は死にたいほど嫌悪していても、無意識では可愛くてしょうがなく、それでこそ私。と思ってた。

表題の件の意味がわからないかもしれないのでまとめます。
私は3〜4才の頃から、人からの愛情を素直に受け取れなくなった。そこからは誰にも本当の意味で心を開いておらず、悩み事などは、親を含み誰にも相談したことがなかった。
そしてそのことに完全に無自覚で、みんなそういうもんだと思っていた。いつも人並みに友達はいたし、家族ともそれなりに上手くやっていて、自分が心を閉ざしているという認識はなかった。

今はようやくそんな自分を自覚できたところ。気づいただけで、行動などはまだあまり変わってないので、周りの人は以前の自分との違いを感じてないと思う。
気付いてから振り返ると、私はメンタル的に引きこもり状態だったのだなーと思った。
外が怖いからそうしていた。

私が全く自覚がなかったのと同様に、実は無自覚にメンタル引きこもりの人は他にもいるんじゃないかと思ったり。

今私が思うのは、私はラブタンクに蓋をしてたから、まずそれを開こうと。そして周りの人からのちょっとした愛情をとりこぼさないように集める。家族がいつもしてくれていることをきちんと見て、当たり前と思わず感謝する。叱られたり指摘されても、「私のことを思って言ってくれてありがとう」とタンクにハートを貯める。
そして、貯める以上に自分がハートを相手のタンクに貯められるようにする。これが、今までしてきてない分、ぎこちないし手探り状態だけど、とても重要だと思ってる。

少しずつでも、誰かの要望を忘れずに覚えておいて叶えてあげるとか、表情や言葉に注意を向けて希望を察してあげるとか、そんな風にしていきたい。
3〜4才の頃からメンタルの成長が止まってたと言っても過言でない私。先は長いけど、いま気づけてよかったと思って一歩一歩やっていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?