旅の後のこと、親のこと

もうインドに来て3ヶ月になるのか。
あっという間だった。

この旅は私にとって何の旅だったか。
今のマルチタスクの仕事を続けることに限界を感じたこと。旅が好きなので、旅しながら稼ぐ方法を模索しようとも思っていた。
あとは、自分がアダルトチルドレンというものなのかも、とかそういうことに本を読んで気づき初め、今までの自分の人生は本当に私のものだったか、ということにも疑問を持った。私の本当のやりたいことや望みは何だったか、自分を見つめて考え直そうと思った。
また、なかなか消えない失恋の痛みがあったので、強い刺激でその苦痛を忘れたいというのもあった(実際、これは既に成功した、と思う)。

旅に出る直前の6ヶ月ほどは、寺で住み込みをして、座禅や作務(掃除など)をする毎日を過ごしていた。そこでは和尚さんに定期的に話を聞いてもらえて、自分の幼少の頃の話から、ほとんど全て心に思い浮かぶことを和尚さんの前で話した。
和尚さんは、私には注意欠陥なところがあるけど、サザエさんくらいのもので、発達障害という程のものではない。今の仕事に就いたのは色々な縁の積み重なりの上のことだから、戻れるならまた戻って働くのがいいのでは、と言われた。
和尚さんは、今ある日常に幸せを見出して、地道に、親や親戚を大事にして生きたらいいと言った。

寺で住み込みする前は、長い間父親と2人暮らしだった。母親は私が18のときに他界していて、姉2人は嫁にいった。
父親とは、3年前くらいまでずっと不仲だった。2人で車で出かけると必ずと言っていいほど激しい口論になった。父は自分の考えが正しいと思い込んでるタイプで、私は父のその頑固さが大嫌いですぐに口ごたえをした。
一緒に暮らすのが苦痛なので、社会人になってから暫くは、職場に近い別のところに住んでいた。
そして3年前くらいからまた一緒に住むようになったのだけど、父の態度が前とは明らかに変わっていた。
前みたいに怒ったらすぐに怒鳴るのではなくて、無言を使うようになった。そして、私の容姿や考え方を頻繁に褒めるようになった。褒められるたび少し居心地が悪いのが正直なところだけど。

前までの父のままだったら、一緒に長期間暮らすなんて絶対にムリ。というところだったのだけど、父の改心具合に、この父ならちゃんと大事にしないといけないかな、とも思っている。

和尚さんもそう言っていたから、旅を終えたら、また父と住んで、今度は毎日私が父の分の料理も作るようにしようかな、と何となくは思っている。

この旅に出る前の、「行っちゃうのか」という父の涙目も忘れられない。

けれど同時に、父への怒りのようなものが私の心の底から綺麗になくなることはあるのだろうか、疑問に思う。
私は、父のふとした言動によく苛立ちを感じる。例えば、テレビを見ながら世界情勢などについて父が語り出すと、本当は何も分かっていないくせに、自分は大した人間でもないくせに、等とどうしようもなくドロドロとした感情が、渦巻いてくる。
だから、父と同じ部屋で何気なく過ごしているとき、気が休まらない。父との会話は、不毛だという気しかしなくて、返答が億劫になる。そんな私の態度を見て、父もだんだん不機嫌になる、という具合。
私も少しは大人になれたので、初めの方はそうだね、そっか、と聞くのだけど、父の話はいつもなかなか終わらない。だから「わかったよ」、とか、別の作業を始めたりとか、するのだけど、そうすると父は敏感で「真面目に聞いてないな」とすねり出す。

私が旅に出たのは何でだったろう。
このままこの父と一緒に2人で暮らしていて、父に何かがあって介護が必要になったりしたら、それこそ家から出ることができなくなる。
もしかしたら私はそれを恐れていたかもしれない。自分のことだけどよく分からない。でも少しそれが頭をよぎったから、今ノートを書き始めた。

和尚さんもああ言ってたし、私の良心も、親を大事にすべきという思いが強い。
母を亡くした分余計に、父は大切にして、長生きさせてあげたいという気持ちがある。

けれど私にきちんと父を愛してあげることができるだろうか。この父へのドロドロとした憎しみを消す方法もわからないのに、一緒に住んで、それは父のためになるのだろうか。

"遠くに住んで、数年に1回会うくらいの関係性でいたい"とも思うし、それと同時に ''結婚したとしても父と同居して、父のために料理を作って、父が寂しくならないようにしてあげたい''とも思う。
それに、私が父といなかったら、誰が父と一緒にいてくれる?姉にそれをさせるのも気が引ける。

どちらが強いということもなく、本当に同じ程度にこの相反する思いを持っている、気がする。自分のことだけど、自分の気持ちがよくわからない。
今現在の気持ちで言えば、自分の気持ちや方向性が見えない今、まだ日本には帰りたくない。旅をしながら自活する手段に、もっと真剣に取り組んでみる。

今思い出したけれど、たった20日前くらいの12月末には、今すぐ日本に帰って、年始は父と過ごして、そのまま普通に父と暮らそう。と本気で思って、航空券を探したのだった。そのときは値段が高くてやめたけど。

自分のことなのに何でこんなに思いが定まらないんだろう。「今思い出したけれど、」というのも、書いていて自分で怖くなった。少し前に考えていたことを忘れていたなんて。

追記
この記事を書いた翌日の朝、「○○起きた?!」という父の怒ったような低い声で目が覚めた。もちろん空耳だけど、かなりリアルに頭に響いた。その声を聞いた瞬間、心拍が跳ね上がった。数分経ってもまだ拍動を感じる。やっぱり父の怒った声を聞くと、いつまで経っても私はこうなのか。


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