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建築家・前川國男の自邸はモダニズム溢れる設計だった

先日、アマゾンプライムで『名建築で昼食を』観ました。

番組内で出てきた、前川國男氏の邸宅が素敵で、実際に観に行ってきました。


前川國男 自邸(東京都・小金井市)

『名建築で昼食を』とは

有名建築家を父に持つ建築模型士の植草千明は、ノスタルジックで可愛らしい建築(千明曰く「乙女建築」)を巡るのが趣味で、訪れた時の様子をSNSで随時更新しており人気を博していた。一方、広告代理店で働く春野藤は別れた彼氏からぬか床を預かる羽目に遭い、複雑な心境を抱いたまま、かき混ぜる毎日を過ごしていた。そんな藤だが、実は親友の山口綾子と一緒にカフェを開くことを夢見ており、その参考になればという気持ちから千明のSNSをフォローしていた。いつしかSNSを通じてメッセージを交換していくうちに、2人は「東京の名建築」と呼ばれる建築物で昼食をすることに。

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前川國男とは

建築家・前川國男の生涯は、一途に人間のための建築を追い求め、建築家はどう生きるべきかを厳しく問い続けた生涯であり、数々の栄誉に輝く業績を残しながら、なお真実を求めてやまない苦闘の歴史であった。

前川國男(1905-1986)

前川國男は、ル・コルビュジエ、アントニン・レーモンドの元で学び、モダニズム建築の旗手として、第二次世界大戦後の日本建築界をリードした。

前川は、1935年、自由な建築家として生き抜く決意を固めて独立、強い自負と闘志に燃えたスタートであったが、不況下で仕事もなく、次々とコンペティションに挑戦して栄冠をかちとるが、ほとんど実現しない。

しかし、前川は、数々のすぐれた木造建築を作り出す。木造モダニズムの傑作と呼ぶべき、「岸記念体育会館」「前川國男自邸」「紀伊国屋書店」「慶應病院」等の建物は、木造に忠実な構法とディテールを持つ勾配屋根の建物でありながら、新鮮で魅力的なモダニズム建築の空間を見事に作り上げていた。

(大下健太郎『建築家 前川國男の仕事』より)

魅了される「前川國男自邸」

結婚を機に、上大崎に建てられた自邸。担当は崎谷小三郎。1938年の建築統制規則(※1)により30坪制限を受けている。当時は、伝統再考の機運から民家への関心が高まっていた。5寸勾配の大屋根の下に、吹抜けを持つ居間と食堂の一室空間と、その両脇に個室が配された構成で、ル・コルビュジエに学んだ近代建築の空間構成とレーモンド譲りの民家風意匠が結びついている。開口部や建具の工夫により、光を制御した空間が演出されている。江戸東京たてもの園(小金井市)に移築、公開中。

Maekawa built his own house in 1942 on the occasion of his marriage.
While the house was designed with typical Corbusian spatial compositions and vernacular details he learned from Raymond,he also sought to adapt an abstracted essence of Japanese traditional architecture.

※1 1938年4月に公布された国家総動員法によって、産業と暮らしのすべてが統制下に置かれるようになった。建設業界も総動員体制に組み込まれ、軍事施設と軍需産業方面に動員されたが、技術者や労務者の不足、輸送力の低下、電力事情悪化などの悪条件が重なり、工事は意のごとく進まなかった。

「前川國男自邸」の誕生秘話

コルビュジエ的モダニズムは日本の文化と気候条件にもうまく適応させられることに気付いた前川は、20世紀でもっとも多作な建築家の一人となる。ただし、前川のコンクリート建築は商業施設や公共施設が中心であり、住宅建築では、近代以前の日本建築の要素を取り入れた温かみと親密感のあるデザインを重視している。

若い建築家の個性が真に発揮されるのは、自分の家を設計するときであり、第二次大戦中に建てられた前川の最初の自邸も例外ではない。

入口前の塀に使われた大谷石

ネオ・ジャパネスクな屋根のラインや入口前の塀に使われた大谷石、ガラスの扉と格子状の窓で覆われたドラマチックな開口部――南向きで、光をやわらかく取り入れる明かり障子がコントラストをつくり出している――を見れば、日本と西洋の要素が融合していることがわかる。建築史家のケヴィン・レイノルズはこの家について、「前川がこの時期に手掛けた住宅デザインのなかでも、伝統的な様式がとくに明確に表れている」と言う。


コルビュジエの影響を受けた自邸

前川建築におけるコルビュジエの影響を重視し、このような素材と規模で自邸を設計したのは、単に戦時の物資不足で政府が建築資材を制限していたため、そうせざるを得なかったのだとする建築史家もいる。しかし、家族のコネクションがあった前川は戦時中にも関わらず自邸建設を実現できたのだし、110.56平方メートルという延床面積も、規制の100平方メートルをわずかに超えるものだった。


自邸の設計図

玄関を入るとすぐ左に回転式の扉があり、その向こうに、この家の主役とも言える、リビングルームとサロンを兼ねた大きな居間がある。2階分の高さの窓がある解放的な空間で、コンテンポラリーな調度で整えられている。

回転式扉

1973年、この敷地により大きな自邸を建てることにした前川は、この家を解体し、部材を軽井沢の別荘に保管していた。それから20年ほどが過ぎた1996年、良い状態のまま保たれていた部材をもとに、江戸東京たてもの園に前川邸が復元された。東洋の伝統と西洋のモダニズムの優れた要素を組み合わせて体現したような、じつに美しい建物であり、たてもの園のいちばんの見どころであり続けている。

開放的なリビング

倉嶋さんのnoteに前川國男自邸の自然光について書いてあり、共感しました。

日本家屋の特徴を生かした、モダニズムの建築家、前川國男の自邸 | Houzz (ハウズ)

ル・コルビュジエとは?代表作や建築界での業績を詳しく解説! | thisismedia (thisisgallery.com)

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