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4月のため息 

22歳。大人と呼ぶには、十分なお年頃である。つい十年前、まだ小学生だった私には、大人なんて遥か遠い未来に思われた。なんなら、本当に大人になるのかな、なんて思っていた。毎日うんうん、と悩みもするけれど、そんなのはよそに、月日は簡単に流れるものだ。

こんな年にもなると、同い年の人々は就職活動をするらしい。就活。お兄さんお姉さんは大変だなあ、なんて思っていたが、こんなことでは「ちょいとあんた、あんたのことですよ」と自分で自分に言わざるを得ない状況である。

というのも、私は現在、いわゆる芸術大学に在学しているので、友達や先輩などから、就職のs…の字も聞かない。ほとんどの人が演奏活動を生業にしたいと思っているので、決まった時間に出勤、言われた仕事をこなして、お金をもらい生活する、といったスタイルは頭に無いのだ。選択肢に全く無い、と言う訳でもないだろうが、自ら手を伸ばす者はゼロに等しい。

働くってどんな感じだろう。このままでは、私は大学からほっぽりだされて、社会の荒波に揉まれる…なんてこともなく、ゆらゆらと沈んでいくのみである。日々、お金で恩恵を買って生活しているのだから、自分も、お金を貰うに値するパフォーマンスをしなければ。当たり前すぎる話だが、お金が無ければ生きていけない。でも、自分にできる、お金が貰えるような労働…。何もできる気がしない。つい、すぐにぼーっとしてしまうし、かと思えば集中しすぎて、周りが見えなくなってしまうし、不器用だから、機転を利かせてたち振る舞ったりも中々できない。

バイトもしてみているが、体力に自信がなくて、シフトに入るのも週1,2日。学業も疎かにできないし〜と言い訳をして、実際はただイヤフォンで音楽を聞きながら、ぼーっと天井を眺めている始末だ。ダメダメである。全然シフトに入んないものだから、余計に、人より仕事を覚えるのが遅い。体も慣れていかないし、複数の仕事を任されて、わーどうしたらいいのーとパニクる。ウーマンラッシュアワーのネタなら、「助けてーバイトリーダーー!」と言えば、すぐにキラキラの村本さんが頭をブンブン振りながら飛んできてくれるのだが、そんなわけにもいかず、ただアワアワし、調理場を行ったり来たり。結局、流しをビチャビチャにしたのを拭く前に先輩に見つかり、「一個終わったら一個片付けてくれる?」と釘を刺される。ダメダメである。

何事も、すんなりと片付けることができなくて、ああ、これから社会でどうしたもんかなあ、なんて美容院の天井を見ながら考えていた。今だって、私はただ頭を預け、アワアワにされ、ぼーっとしているだけだが、美容師さんにとっては、運命の分かれ目。このアワをピシャッとほっぺたなんかに飛ばしたもんなら、すぐにクレーム案件である。この人も毎日責任を抱えて働いているんだなーと、ただただ尊敬の念である。

シャンプー台から、施術してもらう席まで戻る。再び鏡の前に座って、鏡の中の美容師さんとカウンセリング。そういえば、気になってたことがある。この人…ちょいチャラいな。緑のキャップに、細かいパーマのかかった少し長めヘアスタイル。胸元にはゴールドのアクセサリーがキラリと光っている。大丈夫かな。なんか緊張するな。

「今日はどうしますかー?」

あ、あ、どうしよう。なんて言うのが伝わりやすいんだ。というか、この人と私、共通言語あるか…?カルチャーが違いそうだし、なんて言えばいいんだ…?!

「ええと、取り敢えず軽く…」

「軽く?」

「あの、ちょっと軽く…すっきりさせたいなって…」

「あ、軽くですねーわかりましたー」

半笑い。ああ、美容にこだわり無い人だなーって思われたかな。まあ間違いではないので、いいことにする。それに、ここで

「ここにレイヤーを入れて、サイドは流して…あ、ここらへんは重すぎず軽すぎず…」

とか言い出して、素人がオシャレぶって何なんだこの人、とか思われるほうが嫌である。

「じゃあ、始めますねー」

「お願いします」

施術中、ジョキジョキはさみを入れられる髪の毛を見ながら、考えていた。この人たちだって責任を抱えながら髪の毛切ってるんだなー。失敗して、「あ、失敗しちゃいました、てへっ」と可愛く笑ってみても、ただじゃ済まないだろう。たとえ新人だとしても。

もしこのチャラっぽ男が、今私の髪をジョキンッと一束明らかに短く切っちゃったら、どうなるだろ。「あっ…やっちゃいました…!」って、頭かきながら半笑いかな。いや、どうにか誤魔化す方向にいくだろ。でも、誤魔化しようがないくらい、とんでもなく短かったら…?とか考えてたら、私が半笑いになりそうだったので、ずっと唇を内側から、歯で鈍く噛み締めていた。

「はい、お疲れ様でしたー」

あ、終わったのか。おー。ちょっと短くなったかな…。

「軽くしときましたんで。ね、軽いでしょ!」

軽くすりゃ良かったんでしょ。やっときましたよ!とでも言いたげな満面の笑顔である。

「あー、はい。」

この人も責任を抱えて毎日働いてる。私は、これから…?髪は確かに軽くはなったが、それとは裏腹、私の心は重いままである。