もしも、親孝行が終わっているならば。
私の一番古い記憶は、3歳の11月だ。
場所は母方の祖父母宅の和室。
姿見に映る自分を嬉しそうに見ていた。
なぜそこまで細かく分かるかと言うと、七五三の着物を着せてもらっていたから。
小さい頃から着物が好きだったようだ。
次に覚えているのは翌年の3月。
弟が産まれる直前で、陣痛に苦しむ母親の背中をハッキリと覚えている。
もちろんそこから先の人生をすべて覚えている訳ではないが、弟が生まれた年、父方の祖父が建てたマンションに引越し、両親はその1階で自分達のレストランをオープンさせた。
目まぐるしく環境が変わったので、色々と思い出せることが多い。
残念ながら祖父はせっかく建てたマンションにほとんど住むことなく他界してしまったが、祖父に手を引かれて坂の上にあったパン屋さんにアイスクリームを買いに連れて行ってもらったのは覚えている。
(祖父には大層可愛がってもらったそうだが、残念ながらその手を繋いだ腰辺りの視線の記憶しかない)
両親は夜は仕事だったもので、私達は両祖父母の家によく預けられていた。
弟が3歳〜4歳になる頃までは、私は弟のことをとても可愛がっていた。
それは兄弟愛というよりも物理的に弟の容姿が可愛かったので、カチューシャを着けさせスカートを履かせて、上の階の祖母に見せに行ったのも覚えている。
だんだんと弟も言葉を覚え生意気になり、大人達から「お姉ちゃんなんだから」と色んなことを我慢させられるようになったのも重なり、どんどん憎たらしくなって、取っ組み合いの喧嘩をする様になっていった。
内容は忘れたが一度ブチギレて先の尖った鉛筆で弟の肩を刺してしまって、ギャン泣きされちゃって母にバレないかすごく慌てたのが忘れられない。
(なぜか血が出なくて黒い芯の痕だけ残ったのでセーフでした)
その頃からたぶん日頃の寂しさや鬱憤が食べる事に向いてしまったのだと思うが、私はすごく太り始め、家でも外でも容姿について罵られるようになり、これが30年以上続いた大容姿コンプ時代の幕開けである。
ちなみに見出し画像の私はもう保育園で体型を揶揄われ始めていて、保育園以降の写真はこんな感じで浮かない顔をしているのがほとんどである。
※容姿コンプについては後々シリーズ化を構想中です
はっきりとした記憶を持ち始めて以降は、本当に一度も面と向かって両親に可愛いと言われたことがない。
きっとそれどころじゃなかったというか、物心ついた頃からは毎日怒鳴り合い(たまに暴力)の喧嘩ばかりしている両親だったので、自分達がいるせいで2人は我慢して共同生活を続けなければならないんだと早くから悟っていたので苦しい幼少期だった。
気持ちを救ってくれた人
自分の半生を振り返るということは、親への恨み辛みも書き出すことになるわけで、なんと親不孝なことかと思い悩むこともあった。
noteを始める背中を押してくれたのは夫だが、この親への背徳感を救ってくれたのは、実は岡田斗司夫さんの配信である。
私は全くアニメオタクになれない人種なのでなぜ私のおすすめに出てきたのかは分からないが、何年か前からついつい見てしまって密かにファンなのです。
YouTubeのおすすめ機能が思考伝播してるのかなとたまに怖くなる時があるけれど、親に対して思い悩んでいる時におすすめに出てきた切り抜き動画がこれだった。
これの冒頭の相談で、“両親からの無償の愛に親孝行で返さなくてはならないと考えているけれど、親よりも劣った自分は何も返せない”と涙するという女の子からの相談に対しての岡田さんの回答に、私も泣いたうちの1人です。
私が17歳の時に両親は別居して母子家庭になった。
極力母親の方を優先して大事にしていたつもりだが、どっちも好きだったので平等に良い顔をしようとして、どっち共上手くいかず最後には手放してしまった。
例えば私の中では母への親孝行の一つのつもりでやった結婚式が、母にとっては内容が気に入らなかったそうで後々散々な言われようをされて、やったことを何年もうなされる程後悔させられたのだけれど、今ではやって良かったかもしれないと思える理由が一つだけある。
それは、記憶にない頃の私の写真を見つけられたことだ。
結婚式にお決まりのプロフィールムービーを作るために実家に写真を探しに行ったのだが、押入れの奥から整理されていない写真が大量に詰まった段ボールを出してきてくれた。
私が生まれたばかりの頃のアルバムはあったが、その次は保育園や小学校で購入した卒業アルバムのみだったので、家族のスナップショットはないのかと思っていたら単純に整理する時間がないまま何十年も経ってしまったらしい。
もう予想でしかないけれど、岡田斗司夫さんの言うことを信じるのなら、この頃はきっと両親共々、心から可愛がってくれていたんじゃないかなと思う。
親孝行が終わっているならば親不孝して良いってわけではないだろうが、小さい頃の可愛さに免じて赦してほしいなと。笑
言わなくても伝わってると思ってたと、父親からきた最後のLINEには書かれていた。
言葉で言ってもらえていたら、これから書く悲惨な十代〜二十代を過ごさなくて済んだかもしれないのになぁと残念に思った。
これを読んでくれた子を持つ親の読者様は、どうかちゃんと言葉で、お子さんが小さい頃から可愛いよ、大切だよと言ってあげてほしいです(できればハグも)。
その子がどんなに転んでも、その記憶がきっと支えになるから。
桃の節句に思い出す人
そんな照れ臭いことはできないと思った人もいるかもしれないが、世の中には、見た目を褒め合ったり、大切に思っていることを子供に直接言ったりできる親もいるのだ。
私も都市伝説かと思って生きてきたけれど、そんな家族が本当にいるんだということを義父母に出会って初めて知ることができたので、それも夫と結婚して良かったと思うポイントの一つ。
辛い出来事の延長に夫との出会いがあったのなら、それはしょうがなかったかと受け止めている。
ちなみに弟に関しては、大人になってからは支え合い助けられた時期もあったので、仲の良い家族を続けられなくて申し訳ないと今では思っています。
一日過ぎてしまったけれど、昨日が弟の誕生日だったので思いを馳せてみた。
家族みんなにお祝いしてもらって、幸せに過ごせていたら良いな。
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