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さよならの時間がやって来たのだろう

友人に会った…。
奇跡の時間は終わったのかもしれないと思っている。
人との関係は流動的。
一緒に歩める時間は奇跡。

奇跡の時間が終わったら感謝しつつ手放さなければいけない。

数年前からそれを感じていたのに手放さなかったのは私。
職人である友人に尊敬を持っていたのだが歳とともにお互いが感じかたや考え方も変わっていく。友人の作るものに感動を感じなくなったのはお互いが歳を取り思うことや学ぶことが違ってきたからだろう。
良い、とか悪いとかではない。

友人と共通の知り合いが私はあまり好きではない。その人にモモの事を話したくはないし家族の事も知られたくない。
でもその人は聞きたがる。

友人が私が行く時間になぜかその人を呼んでいて…
その人の態度から多分友人がその人に全てを話したとわかった。

『モモくん、高校おめでとうございます』その人は少し引きつった作り笑いでそう言った。
ありがとうございます…
一応笑顔でそう答えたが何も話して欲しくなかったのに。と思った。

人の口には戸は立てられぬと言う。
友人が悪いわけではない。

私の家族の話はきっと面白いだろう。
波瀾万丈だもの。
登場人物は変人として話されるのだろう。
どんな興味津々顔でこの人たちの話題にのぼったんだろう。
その人がまるで不幸な私を哀れむような顔を向けてきた時。
さよならの時間が来たことを知った。

友人が悪いわけでもその人が悪いわけでもない。
しばらくは面白おかしく話されるだろう。
…それで良い。

私は今もう不幸ではないのだから。
かわいそうな私でもないのだから。

笑えば良い。

私は私の道を行く。
私はみんなとは違うけれど一歩一歩必死で歩んできた。
それを笑いたければ笑えば良い。

そしてもしかしたら友人は本当は何も話していないのかもしれない。
私の思い過ごしなのかもしれない。

『友人はそんなことはしないのだ』と思えなくなった私の心はいつか友人を傷付けるだろう。

ここが潮時なのだ。
感謝してさよならする時間が来たのだろう。

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