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幸せになってと心から願う

たぶん6年くらい前だろうかそのblogを初めて見たのは。
その人は毎日辛い、辛いと訴えていた。
うつ病で治りたいのだと。

コメントは「こうした方がいい」や「頑張らなくて良いですよ」で溢れていた。
そうこうしている間に状況はどんどん悪くなる。
ご家族(子供さん)も全員が鬱になってしまったのだ。
彼女はそれも辛いと苦しみながら何だか嬉しそうにも見えた…ご家族が鬱になることで彼女の苦しみを共有出来たと彼女は無意識で思ったのかもしれない。

私も初めの数年コメントしたが気付いた。
この人は治りたくないのだと。

数人がその態度にキレていなくなる。
彼女の態度は物腰は柔らかだが受け入れることは決してない頑なさがあった。
彼女を支えるブロ友さんのほとんどがうつ病と戦い今も苦しむいわゆる病友だった。
まぁ、私もその一人だったわけで。

その人の過去は壮絶だった。
幼少期の体験。

彼女はうつ病である自分でいることで母に復讐しているのだと私は思った。
だから治ってはいけないのだと。
もちろん本心から治したい。
でも治ったらこの苦しみをわかってもらえない。
病気になるくらい、死ぬくらい辛かった自分を元気になってしまったら母に見せ付けることが出来ないじゃないか。

彼女はそうは一言も言わない。
彼女自身気付いていないのかもしれない。
でも私はそれを感じてコメントしなくなった。
入れ替わり立ち替わり彼女を慰める人が現れて消える。

私はそれで良いと思うのだ。
このネット社会の良さでもある。
6年前に彼女を親身に慰めた人達は全員いない。今は5回くらい変わったメンバーが彼女を毎日支え続けている。

言い換えれば一人では支えられないくらいの心の傷を彼女は持っていたと言うこと。
彼女にとっても新しい人に辛いと言って心から共感してもらうことは必要なことだったのだろうと思う。
それこそがリハビリだったのかもしれない。

私は6年間毎日辛い辛いと変わらない彼女のブログを見続けた。
神様に祈りながら。
この人を助けてほしいと。

人はそれぞれの人生を生きている。
病気を治して頑張りたい人
病気を治さず復讐したい人

どちらが良くてどちらが悪いわけでもない。

でも私は彼女に笑ってほしかった。
彼女の子供さんにも。
それは連鎖だから。

先日ひょんなことから彼女は母親に会った。
会う前、混乱しながらも嬉しそうな彼女がそこにいた。
彼女は何十年も涙しながら母を恨みながらこの日を待っていたのだろう。

会った時の思い出には花の写真がたくさんつけられていた。
許せないけれど受け入れる。
彼女はそう綴っていた。

うん、頑張ったね!
頑張ったよ!
長かったね、偉かったね!

もちろんコメントはしない。
きっと今のブロ友さんたちが一緒に喜んでくれるだろう。
私も嬉しい。

彼女はまた戸惑っている。
今許してしまったら今までの私の人生はなんだったのだと思っているのだろう。
そしてしばらくは不安定な状態が続くのだろう。

もちろん幸せになってほしい!と思う。
でも幸せにならない人生を選ぶのも彼女の自由なのだ。
それはそれで尊いのだ。

それでもやっぱり。
何十年かぶりにお母様に会い、優しくしてもらった経験を与えてくださって神様ありがとうと思ってしまうのだ。
彼女のお母様、年齢からして90近いだろう。
お互い生きていて本当に良かった。
これで彼女は変わるきっかけを与えられたのだ。
私はまた見続けるだろう。
頑張れ!
(頑張れと言っちゃいけないらしいが頑張らなきゃ生きていけない人だっているんだよ💢)

みんなが見続ける。
そして時に思い思いの言葉を投げ掛ける。
時には辛辣に思える言葉もあるだろう。
結局、人なんだよね。
人が彼女を支えている。

ネット社会になったって。
ネット社会になったからこその。


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