見出し画像

色とりどりの

現代の日本社会は色をなくして溶け込むことを良しとしている。

みんなと同じ。同調圧力?

私は人の顔が覚えられない。名前も。
昔から人を色で見ていたような気がする。
話す内容、言葉、その人の色合い。
最近は特に覚えられない。
歳のせい?🤭💦そればかりではないようだ。

私はなかなか大変な家庭に育った。
今はそこに発達の問題が絡んでいたと理解したことで解き放つことが出来た。
決して許すなどと言う生易しいものではない。
その過程は自分が引きちぎられるような苦しみ。

私は自分の色がわからなかった。
自分の色を押さえ付けられていた半生だったから。
たぶん強烈などぎつい色をしている自分。
それゆえに受け入れられないことも多くそれゆえに面白いと言ってくださる方もいる。

なのに自分は全く自分の色がわからない。
押さえ付けられていた幼少時代の名残から何をしていても自分なんかと思ってしまっていた。
何色かさえわからない自分。

ある時ひょんなことから絵を始めた。

昨日デッサンの講座に参加した。
もちろんまだひよっこ🐤だ。

初回は会場にのまれた。
描いた絵はこれ…オイ!🤣

断っておくが腰蓑ではない🤣バレリーナのつもりだ

これが昨日(1度目の2ヶ月後)

人になってる!


嬉しくて楽しくて夢中で描いてきた。
最後にみんなの作品を展示した。

あ!と思った。
私らしい!
当たり前だけど誰よりも私らしい!

私らしさ、私の色、私の個性

そんなものは持って産まれたもの。
放っておいたってその人の色合いだ。

だけど現代の社会はそれを全て透明にしたがる。気付かぬうちに自分もそれに合わせている。
何色でもない。
現代、実社会で色とりどりな方々に会うことは少ない。みんなが無色透明でいるよう心掛けているのだろう。恐ろしい時代になったものだ。

私が小さい頃にはいたのだ。
強烈な個性の人がたくさん!
みんなみんな、少し変わっていて。だけどそれ以上に温かくて優しくて人間味溢れる…。

ネットの中には色とりどりの方々がいる。
その方々は眩しいくらいに強烈な魅力を放っているのだが実社会では生きづらそうだ。
みんなが「自分なんか」と思っている。

たくさんの才能溢れる魅力的な方々。
実社会で出会えないのは残念なことだ。

私はこのまま思うように生きていこう。
無色透明社会なんて、勝手にやってろ!
それで良いと思えた昨日の午後。
長かったなぁ~💦
人生の2/3は終わってしまったではないか。
でも、まぁ…私が終わる前に気付けたのは良かった。

私色。かなりどぎついけど。
悪くないと思うんだ。😌

(そう思わせてくださったネットの方々に感謝♥️)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?