不登校の夏休み2

不登校の夏休み1

こちらからの続き

公立小学校に求めること

その後、転校届の提出と成績表とアサガオと残ってた道具を受け取りに教員室へ向かった。
前週にもらった転校届には「事由」の欄があり、一言「私立編入のため」でも良かったのだが、下駄盤が校長まであったので、ここで言わなきゃ不登校の要因不明、勝手に来られなくなっていなくなった子とされてしまう!と考えて以下のように枠はみ出して書いておいた。
「入学時のクラス分け(同じ保育園多数入学したが一人もクラスメイトがいなかった)に対するショックから始まり、給食時の指導、クラスメイトからの心無い言動、担任の先生との信頼関係が築けなかったことなどが要因となり、蕁麻疹や過呼吸などの症状が表出し、5/19より不登校となった。大好きだった学校が嫌いになってしまったこと、学校では誰も自分のことを見てくれない、などの発言を繰り返し、自己肯定感が極端に低くなり、現在も心の安定を図るため医療機関に通院している。学校の対応は後手であり共有もされていないと感じざるを得ず、納得できるものではなく、親と学校との信頼関係は築けなかった。本人は友人と会うことを望み、学びたい意欲はあったものの、学校(特に教室に入ること)への忌避感が強く、転校を望んでいたことから、私立編入することとなった。」

届け!私の思い!!

…もちろん、提出してから音沙汰なしですが…

提出して様々なものを受取り、担任と簡単な挨拶を終えたところで副校長が挨拶に来た。いろいろスクールカウンセラーに聞いていて、こちらが至らないことがあってこのような結果になって申し訳ない、と。ホントだよっ!とは言わず(そのへんは既に文面に残るようにしたので)、「同じような子がいたときにきちんと対応してください。それ以上のことはもうないです」と伝えた。

せっかく親身になってくれるスクールカウンセラーがいても、その報告を聞いて現状をわかっていた副校長がいても、結局どうにもならなかった。共有されていないのか、150分の1だから異例と見られていたのか、担任にすべてを任せているためなのか。娘は今もまだ不安が強いし自己肯定感も低いまま。1人の子どもの人生を左右するような出来事だったことだけは自覚してほしい。教育委員会に言おうかとも考えたけど、すでに次の学校を楽しみにしてる娘を見てそれもやめた。

ここにいた記録と記憶

文書に思いの丈をぶつけたのは、ここが公務員の職場だからである。私も公務員経験者として、文書は絶対に残す。数年間はファイルされているはずである。ただし、ファイルはされてもそのままになり、最終的には破棄される。娘がここで苦しんだことは記録に残すことが公的にはできない。

返却されたいくつかの写生など学内で行った課業を見て、とても悲しくなった。入学前のワクワクや初めてお友だちができた話(まぁ、その子に散々やられたのだが)、学校での様々な新しい出来事を嬉々として語っていた時もあったわけで。でも、たった1ヶ月半。GWなどの休みを除くと実質1ヶ月位だろう。 おそらく、クラスメイトは娘のことを記憶できないだろう。それは娘も同じだろうし小1なのだからそれは構わない。問題なのは、教室に入れなくなる子どもがいて、そのままなんの手立てもなく不登校になって、学校をやめざるを得なくなった一児童を学校側が記憶(記録)できないということである。不登校児の増加が問題になっている昨今。様々なケースを蓄積しているはずの公立小学校を活用して分析しないのか。行き渋りや不登校で困っている親に蓄積したケースを提示して寄り添えないのか。ずっと考えていたけれど、結局蓄積さえもされていないということなのだろうということがわかってきた。日々の仕事に追われている教員にこれ以上負担させるのか、と言われるかもしれない。でも、二度と娘と同じ思いをする子が出ないでほしい。希望あふれる小1に絶望を与えないでほしいと切に願う。


夏休みの話を書くはずが夏休み前の出来事の話になってしまった。
次回こそ、不登校から私立編入の移行期間である夏休みの過ごし方について記録していく…予定…

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