見出し画像

編入③

「楽しい」をそのまま信じて良いのか

編入が決まった頃、不登校時代にずっと助けてくれた友人(彼女もその子どもも不登校経験者)から言われたことがある。
「次の学校で困ったことやストレスがあっても、親に心配かけたくないから楽しいフリをするかもしれないから気をつけて」

確かに。
娘は巧妙な嘘をつくことがある。通っていた学童に行けないとわかったとき、主演女優賞並の演技(間も言い方も完璧)な嘘をついたことがある。
さすがにその前の話の文脈から嘘だと気付いたが、もしかして私以外が聞いていたら騙されていたかもしれない。
親に心配をかけたくないというのは小さい頃からずっとそうで、むしろこちらが「気にしなくていい」と何度となく言い続けている。親に気を遣う子どもで、これに対しては私が小さい頃から厳しすぎたせいだとか、仕事をしすぎているせいだとか、直接的、間接的に言われ続けている。
もちろん最初はそうなのかもしれないと落ち込んだこともあったが、今はそうなのか?と疑問を持っている。
子どもらしくない子ども
環境ももちろんあるのだろうが、それだけとは思えない。これは決して自分を正当化したいわけではない。

「楽しい!!」


毎日一緒に学校へ行き何日間も授業を見学したことで、私自身も友だちの名前を覚え、授業の様子もなんとなくわかっていることで、具体的な名前や内容を加えつつ、学校の様子を聞き出している。
すると、かなり具体的な内容を伴いながら「楽しい!!」と言う。その表情や身振り手振りの解説から本当に楽しのだろうけれど、それでも私は疑っていた。
頑張ろうとしなくていい、困ったことは必ず話してほしいとは夏休み中から言い続けていて、今も繰り返し伝えている。
その効果もあってか「疲れた」「ちょっと大変なことある」と話してはくれるのだが、基本的に最後は楽しい!となる。
うーーーん。楽しいならいいのだが、ほんとの心の内を探っていくのは難しい…と思っていた。

過去を振り返り今を位置づける


ある晩、ベットに入りながら話をしていた。二人でのんびりといろんなことを話すタイムで、これは行き渋りの頃から定期的に行っている。
「ママと学校のことたくさんお話したい!」ということなので、「楽しいって言ってるけど無理してないか。楽しいと思うのはどういうところなのか」と聞いてみた。
すると、「先生や友だちがみんな優しくて助けてくれるところ。困ってたり泣いたりしてると、みんな大丈夫?って来てくれる。それにみんな色んなこと知ってるし、話を聞いてるのも面白い!」と言ってきた。
わたし「前にずっと考えることが待っていて辛いって言ってたのはどうなった?」
むすめ「まだ続いてる。どんどん難しくなるけど、辛くはない」
わたし「心が小さくなってポロポロとこぼれて壊れそうだったのはどうなった?」
むすめ「(身振り手振りで)こーーーんなに大きくなった!学校たのしいから!」

ふむ…

どうやら私の考えすぎだったか?と思い、会話をやめて寝ようとしたときのこと。
むすめ「あのヒックヒックってなったときあるでしょ?(全身痙攣するようなチック)あの時が一番辛かったの。ママ、支えてくれてありがとう」

私はちょっとぎょっとした。
6歳児から「支えてくれてありがとう」なんて言葉がスラスラっと出てきたから。

ママが支えるのは当たり前。一番頑張ったのはあなただ、と伝えると大号泣が始まった。
ずっと辛かったこと、その時ママが優しくしてくれて、支えてくれたから元気になったこと。やっと安心できる学校に行けていること。などなどを涙ながらに話す。
「よく頑張った!ママの子どもに生まれてくれてありがとう!」
と、メロドラマ的なことを試しに伝えてみたら
「ママの子どもで良かった!」
と、娘も泣きながらメロドラマ返し。

普通に嬉しい言葉ではあるのだが、一度感情が溢れ出すといつも以上にこれまでインプットされてきた言葉が出てくるのだな…と分析もしてみる。
なにより驚いたのが、辛かったことを振り返りそれを受け入れたことである。そして、今がどんな状況でどんな心持ちになっているのかをその過去と比較しながら雄弁に語る。

ルールから外れることへの嫌悪感


ある時、同じように夜に会話をしていると、実は…と切り出してきた。
外履きがブカブカで走りにくく、先生に断って上履きで外に出たのだそう。
すると、先生の許可が降りていることを知らない数人の友達から「上履きで出ちゃだめ、外履きじゃなきゃ!」と咎められ、教室に戻って泣いたらしい。

その話を聞き、ドキッとした。学校が嫌だと言い出すのではないかと。

でも、違った。
その後、みんなが寄ってきてどうしたんだ?何があったんだ?と聞いてくれた。先生からもそれは辛かったね、と共感してもらい、そのまま教室内で他のお友だちと遊んですごく楽しかったとのことである。

そこからどんな話に繋がるのかというと、なぜ今が楽しいのかということだった。
「みんながちゃんとしてて、清潔で、ルールを守ってて、やることをちゃんとやれるし、困ったときにみんなが助けてくれるから」

上履きがだめでみんなに言われても、それは納得のいくことらしい。
そして、困っても慰めてくれること、先生がきちんと聞いてくれること。これも大きい。
もう一つがルールである。
どうやら娘はルールから外れること(人)に嫌悪感がある。ある種の正義感のようなものがあって、やってはいけないことをやる人、それに対して制裁を加えないことにストレスを感じるらしい。
前の学校では、娘いわく「ルールがわからなかった」んだそう。このルールというのは一方的な押しつけではなく、きちんと明確な理由を伴わなければならない。ルールを示されていないのに怒られ、示されたルールの意味がわからないことが多かったのだという。そして、ルールを守らなくても時と場合によっては怒られないし、一方でわからないルール設定が急になされて怒られることがある。それは娘に対してだけではなく、まわりの子たちが怒られていることにもストレスを感じていた。
一見すると、ルール無用で走り回る子どもたちは今の学校のほうが多い。でも、これは私が一部しか見てないからで、中にいる娘にとっては今の学校は非常にルールが納得いくものなのだろう。

娘を知ること


楽しいのは本当なのだろうと確信できた。
が一方で、6歳の子ってこんなに自分の過去を振り返って今の自分を位置づけることって出来ただろうか?と思うのである。
そして、ルールというものが彼女の中でとても大きい存在であり、こだわりともいえる部分が見えてきた。
今のところ特段悪い方向に出ておらず、むしろ良い方向で終わって本人の心も落ち着いたようだから良かったのだが、どこのなにが凹凸なのかわかっていたいと思った。そうしないと、年齢にそぐわないような考え方や発言でいつか私も娘も立ち行かなくなるときが来る気がする。
来月、wisc-Ⅳを受けることになっている。まずは、知ることから始めねば。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?