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不登校の夏休み1

9月からの所属先も決まり、さらに通っていた小学生が夏休み突入したため、心身ともにかなり安定してきている。
終業式の日、私は娘が通っていた公立小に荷物を取りにいったのだがそこでのモヤモヤを吐き出してみたい。

私立編入します

私立の合格通知が来て数日後、通っていた小学校に電話して副校長に伝えた。副校長と直接話す機会は持てなかったが、スクールカウンセラーが副校長にはすべて話していると言うので、名前を告げて編入が決まったから転校の手続きを教えてほしいというと「担任から連絡させます」と言われる。
うーん、担任がもう機能してないから副校長に伝えたんだけど。
まぁ、書類渡すだけならできるか。
ということで、翌日転校届の紙をもらいに来校。
穿った見方かもしれないが、これまでに比べるとホッとしたような(初めて笑顔を見た)担任の表情で、なんとなーーく私の心に黒いものが生まれる。
その後淡々と書類と、7月分の配布されたお知らせプリント、教材費の請求、不登校前までに娘が製作した絵などを渡される。

挨拶を終えて敷地内にある学童へも挨拶。蕁麻疹が出ても学校に通いたいと頑張ったのは学童の存在があったからだと思う。
スタッフに声をかけると、中心的なお二人が子どもたちがわんさかいて大変な中でわざわざ出てきてくれた。
ずっと心配していたこと、なんとか自分たちにできないか考え担任のところまで話を聞きに行ってくれたことを知った。
担任に不登校の要因を聞いたものの「要因はわからない。不明」と言われたらしく仰け反った。1つだけではないけれど、クラスメイトの言動、担任との関係性は確実にあるし、それは担任にも伝えていることである。
「暖簾に腕押しのような」という表現で担任を表していたが、その通りである。あのような対応のなかでこの1ヶ月半(7月はじめ)大変だったと思う…と私への労いの言葉を伝えてくれたことで、その場で思わず涙ぐんでしまった。

「先生」万能論

終業式の日。当然娘は出席していないが、私は最後のスクールカウンセラーに行ってきた。
SCさんは行き渋りが始まった直後から話を聞いてもらい、アドバイスをもらい、計4回ほどであったが私の頭の整理が出来たし、励まされ、本当に助けてもらったと感謝している一人である。
最終日はその後の担任の対応について聞かれつつ(もちろん正直に答えました)、これまでの総括として、娘は大人との関係性を大事にしたい子で、それは甘えたいのではなく、困ったときには助けてくれる、わからないことや理不尽なことがあっても対処してくれるのが先生であり大人であると考えているのではないかと、言われてまた新たな気付きがあった。
「もしかしたら、ママが先生であることも影響あるのかもしれない」とのことだが、いやいや私は教員としてペーペーだし、むしろ学生に舐められてるくらい距離近いし、翻弄されまくってる…

が、言われてふと思い出した。

娘は小学校入学ちょい前からやたらと先生ってどんな仕事なのか、と言ってた。
不登校の傾向が出てきたときにも「先生はなんでも知っているんでしょ?」と聞かれた。「ママは先生だけど、知ってることは限られてるし、学生から教えられること多いよ。みんな面白いこと考えてるからママもお勉強してるんだ」とは話してた。その時は「ふーん…」とわかってんのかわかってないのかわからない返事をしていたけれど、もしかしたら自分の担任のことを考えていたのかもしれない。

娘からすると、家で絶対的存在のママが先生という職業であり(とはいえ私の出来ないっぷりは娘もよく知っていて度々突っ込まれる)、娘にとっては「先生」という存在は万能であると考えていたのかもしれない。
「先生」万能論のまま入学してみると、学年全体が威圧的な指導だったことも「先生」像に拍車が掛かった一方で、助けてくれない、対応してくれない、むしろ万能であるはずの「先生」は理不尽なことを言う。そしてそれについての説明もしてくれない。

その頃に出た言葉が「先生は何でも知ってるんでしょう?」である。
もちろん後出しの辻褄合わせではあるが、おそらくSCさんの「大人との関係性を築きたい」という指摘は間違っていないのだろう。

他にも、最近「外に出るとみんなに変だって言われるような気がする」と言い出した旨を伝えたところ、思春期でぶつかるような悩みにすでにぶつかってるところもあるから、やはり長期的なサポートが必要だろうとも言われた。

長くなりそうので、つづく。

不登校の夏休み2


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