見出し画像

【日々のこと】静養3カ月目に入って

 こんにちは。一昨日の雪は珍しく積もりましたね。私が暮らす町でも雪が積もり、別宅に泊まっていたのですが帰宅できず、通信も悪い場所でしたのでやることがなく、「静養」らしくベッドでごろごろしながら本を読んでいました。
 みなさんはいかがでしたか?通勤通学の方はお疲れ様です。本日も大変ではなかったでしょうか。

 ということでタイトルの通り、過労で倒れてから3ケ月目に入りました。
じつの所これは愚痴になってしまうのですが、過労自体は鬱症状(極度の疲労による)を伴っているとはいえ、気持ちが弱っているという状態ではまだそれほどなかったんです。
 ところが12月に色々トラブルがありまして……悪化しました。会社関係なのですが、言ってることがまったく労働法規や保健協会の規約に則っていないのにそれを承諾させようとするのですね。結局、訂正されないままなのですが。そのやりとりに疲労して症状を悪化させてしまいまして、1月は大変でした。鬱側を悪化させてしまいまして。といっても普段は静かに過ごしているのですが、ふとした瞬間に気分が落ちてしまう位でお薬を処方して頂いて対応しています。
 会社の方の対応については、ひとまず社労士さんと協議しています。あとは労働基準監督署、保健協会、最悪は弁護士さんと協議したいと考えていまして、やはりプロの方にお任せしたほうが安心です。お願いしている社労士さんはとても良い方で、初めて相談した時は神仏みたいに見えました。いざという時は、上に挙げた組織や専門家にお願いするといいと思います。

 というわけでじっしつ静養できたのは1月の半ば過ぎ位でして。なのでまだ全然回復していません。

 つい色々と動いてしまう私ですが、雪の日はやることが全くなく寝て本を読むだけで、それで読書に疲れて休憩しながら自分の気分が落ちることについて考えていたんです。きっかけはすごくささいなことで、理由もアトランダムです。それが今にも飛び降りそうになるのを必死に堪えるまでになるのはなぜなのだろう。って。

 まだそれについてはよく分かっていません。ただなんとなく、そこに自分の中にある大きなしこりを感じています。生まれてきてから今までの間に、知らぬ間に育っていた固いなにものかが存在しているような気がするのです。それが、気分が落ちる時以外にもいままでずっと私の行動や意識を決定づけてしまっているように思っています。

 もしかしたら、それをはっきりと見つけることができれば、私は真に自由になれるかもしれないと考えています。

 気持ちのゆらぎの直接の原因はいつも他者からもたらされます。ですが、私はその方たちには責任はないと思います。これは格好つけて言っている訳ではなく、そういつも理解しているのです。私を追いつめられるのはただ私だけです。そして私を自由にするのもただ私だけなのだと思います。

 このかん、それ以前にも、たくさんのかたが私を励ましたりなぐさめたり、力になってくれたりしてくれました。私の前半生は非常に困難に満ちたものでしたが、私はその方たちのおかげで生きていると思います。
 ただ、それでも消えない悪腫が存在しているのだと私はこの休みの間に気がつき始めました。
 今、私は過労で静養中で、働きバチみたいに動き回るのが好きな私にとってはすごく自分自身を歯がゆく感じますし、人生にたいする焦りや、家族に対して責任を感じています。
 けれども、なんとなくスピリチュアル的な話になりますけれども、今その悪腫にむきあえと、そのために体を壊したのかもしれないなとも感じ始めています。

 もうあっという間に2月の上旬が終ろうとしています。今月もきっとあっという間に過ぎていくでしょう。今週末を抜けると急に暖かくなり、春へと向かっていきます。三寒四温もちろんありますが、無理せず、ゆっくりと休みながらこのしこりについて考えていきたいと思います。きっとそれが、今年いちばん大切な自分の作業なのではないかなと感じつつ、今日のブログを終えたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?