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それでもテレビが大好きだ

「テレビ観ないんだよね。テレビから得るものなんて何もない」と友人が言った。アンニュイな伏し目でスマホを弄りながら。

「へえ。そうなんだ」と平静を装いながらも、なんだか馬鹿にされている気分になってしまう。わたしはテレビが大好きだ。

 テレビを観ない人を責めるつもりはない。だってそれは人それぞれだから。でも「テレビから得るものなんて何もない」ということばがどうにも引っかかる。

 テレビはくだらないと、観てるだけ無駄だと、そう言いたいのだろうか。彼女の言ったことの真意はわからないけど、じゃあ、ひっきりなしに弄っているそのスマホからは何か「得られる」のだろうか。

 それはだいぶ昔の話だけど、この時の彼女のことばはわたしの中で「ショックなもの」として残っていて、今でもSNSなんかで「テレビは観ない」とか「テレビ処分した」とかいう知らない誰かの発言を目にするたびにちょっとずつ傷ついている。

 テレビを観る時間を趣味や仕事や学習にまわせば「有意義なもの」を生み出せる確率はぐっと上がることは知っている。ええ知っていますとも。だけど、生み出すだけはつらいのよ。なーんも考えないで、ただただ画面の中から与えられる情報を浴びるだけ浴びて、ヘラヘラ笑ったり腕組んで考え込んだり静かに涙を流したりする時間が欲しい。

 今はテレビじゃなくても情報は得られる。ドラマやバラエティならネット配信で、ニュースはアプリで。そういう意味でも「テレビ離れ」は進んでいるのかもしれない。生粋のテレビっ子としては少し悲しい。一方で、テレビが元気じゃなくなっているのもひしひし感じていたりする。すぐ叩かれるようになったから思い切ったことができなくなったのかもしれない。

 古い話だけど、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の敗者がアメリカの砂漠のど真ん中に取り残されて「あとは自分で帰って」って演出とか、「8時だョ!全員集合」の停電したのに放送続行騒ぎとか、観ててハラハラワクワクしたもんね。今だったら苦情の嵐だよね。あの頃は観る方も寛容だったから、作る方も失敗を恐れずにやれたのかな。

 時代が変わってテレビも変わった。思い切ったことは出来なくなったかも知れないけど、ドラマはうまく世相を拾ったものはやっぱり面白いし、バラエティだって新しい切り口のものが次々生まれてくる。ニュースもウソを流すことはあるけど、SNSで流れているものよりかはある程度信用できる。

 わたしはいい歳になった今でもテレビが大好き。どんなにくだらなくても、放送されてることが嘘であっても、その時間が無駄であっても、面白がれればそれでいい。テレビが好きって事を笑わないでほしい。

【おまけ】
 最近、そのテレビを観ないと言っていた友人に会ったら、普通にテレビドラマの話をしてたんで「ああ、あのときは好きだった男がテレビ観ない人だったんだろうな」と勝手に思うことにした。おしまい。

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