見出し画像

東京から出なかった6ヶ月間をカメラロールで振り返る

親友の娘の一周忌があり、2月の末に大阪へ帰った。
真鶴にあるお気に入りのお鮨やさんへ、8月末にお昼ご飯を食べに行った。
その間の6ヶ月、文字通り一歩も東京から出なかった。母方の祖母の命日前後に合わせて潜りに行く名護の旅も、贔屓のサッカーチームのアウェイ遠征もないまま秋に突入している。幸い、隅田川沿いの平坦な地にある我が家の周りには暮らしを支えてくれる様々な存在があり、徒歩圏内で暮らすことの不便も不満もまったくない。新しく買った家も2年が過ぎ、カスタマイズとメンテナンスを本格始動させ、計画と実行のサイクルは意外とせわしない。

いずれにせよ、こんなことは今までなかったので、カメラロールの日付を追いながら何があって何を考えていたかを振り返ってみる。

画像1

浅草地下街のオーセンティックがこの頃はまだ営業していた。もうしばらく閉まっている。レモングラスご飯、次はいつ食べられるのだろう。おいしいものは、気心の知れた友人、特に料理名をピンポイントで指定するくらい執着する人と食べるのが一番おいしいと思う。

画像2

3月中旬の私はまだ出社していて、週末のお気に入り時間である靴磨きを楽しんでいた。3月末の強制在宅勤務以降、革靴を履くことがなくなり、このままでは革が硬くなると思ってスーパーへ行くのにわざと革靴を履いていた。が、それも気温の上昇と共にビーサンにとって代わり、秋まで革靴の出番はなかった。

画像3

咲き誇る桜を誰も見てくれないというやるせなさの溢れた季節。

画像4

大学の入学当初、つまり一人暮らし開始当初のように、作り置きがぴっちりと冷蔵庫に詰まっていたのが4月。近場の飲食店は皆閉めているから、自分で食いつなぐしかなかった。土曜に買い出しをして、漬けるものは下ごしらえをし、日曜にざざざっと作っていくスケジューリングで暮らしていた。久々に定期的にお出汁をひくようになって、改めて母親が手間暇かけておいしいものを出してくれていたことに感謝した。

画像5

たとえ20時までしかやらなくても、行きつけが再開した時は本当にうれしかった。でも人の消えた街を見るのはやはりかなしい。

画像6

在宅勤務のよくないところは、会議と会議の隙間がなくなること。それに家だからいいだろうと夜に予定をねじ込んでくる人がたまにいる。そうすると19時のラストオーダーにはまったく間に合わず、結局作り置きぴっちり期間はまだまだ続くのである。

画像7

初夏はベランダでゆっくりアペロ、その後街で飲む、ということをやりたかったのだが、結局街は20時までだし家で完結してしまう。この頃、タコとセロリのセビーチェにやたらはまっていて毎週末作っていた。

画像8

家ご飯の何が気に入らなかったかというと、生魚事情である。やはりプロがさばくお魚がいい。浅草には立ち食い鮨の名店がいくつかあるが、緊急事態宣言の明けた週末のお昼、最初に向かったのはお鮨やさんだった。

食べること、特にプロが作ったお料理を食べることが人生における愉しみの多くを占めていると自覚する私にとって、飲食店休業という事態はとても辛かった。ただ、自分で料理する意欲もまだあって、それをレパートリー増加へ振り向けられたのはよかったと思う。

画像9

家への愛着はさらに増した。朝日が差し込んで変化する光の様を好きなだけ眺めていても遅刻しない在宅勤務は最高だと思った。

結局、今いるところ、今あることに満足を見いだせることが楽しく生きることのすべてなのだ。東京から出ること、遠出することで見える景色が違うのは当然だし、その出会いは自分の認知認識の幅を広げるために必要なことだ。一方で、今この瞬間をどう掘るかの力を今回の私たちは試された。外部に刺激を求めずとも人は生きていけるのか?という問いが渡され、個人的な回答ははい、である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?