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なぜそうなったのかに考えを巡らせる

そこまで超満員ではない朝の新宿線で、御年80くらいの小さな老夫婦と50代とおぼしきその娘という3人がドアと座席の間くらいに立っていた。
小川町で座席の前のつり革がだいぶ空いたので、私は彼らを越えてつり革エリアに移動した。
神保町で私のななめ前の座席の大学生っぽい女の子が降り、彼女の前に立っていたスーツ姿の男性が網棚から重そうなブリーフケースをおろして座席に座った。と思ったら条件反射のように急に立ち上がった。

たぶん今まで背を向けて立っていたので、座って向きを変えた途端に老夫婦が目に入ったのだと思う。

そしてすごい勢いで(実際の距離は手を伸ばせば届くのでそんな勢いは出ないのだが、彼が老夫婦を認知してからその後に続く一連の流れが終わるまでの速さがすごい勢いだった)老夫婦の女性の方の肩をたたき、席を代わった。

代わるという申し出に、2往復くらい「いえいえすぐ降りるんで」みたいなやり取りがあったが、そんなものは儀式なのでもちろん男性は立ち、さっきとは別のつり革エリアに去って行った。

なんてことない光景でむしろ年長者を慮るいい光景でもある。でも何か腑に落ちない。

また今週もクライアントAの無茶ぶりが山ほどくるんだろうなー右隣の席のあの人は不思議な匂いを発するんだろうなー左隣のあの人は書類をどんどんこちらのデスクへ侵攻させてきちゃうんだろうなークライアントBのビジネススキルのなさに辟易して紹介したいセミナーや本を探しちゃうんだろうなーといった月曜日ならではの働きに行くことへのネガティブな思いが勝っているからだろうか。

働きに出るバリバリの戦士が戦いの前につかの間の休息をとろうとした時にまでそういう社会通念みたいなものが勝っちゃうのかと問われると、自分の意見がNOだからだろうか。

順当にいくと後者ではあるが、そうではないかもしれない。彼が立ち上がって先ほどまで立っていたつり革ではなく、通路を隔てた別のつり革エリアへ移動したことが気にかかっていたのだ。つまりこう。

年長者へ座席を譲るという社会通念はもう身体化されているため条件反射で立ち上がってしまったのだが、新宿までまだ長くその間このおばあさんの前でまた立ち続けることには抵抗がある。なぜなら「俺は座りたい」「俺はこの1週間を生き抜くため一息つきたい」のが俺の正しい気持ちなのだから。しかし身体化された以上、いやその仕様で既に立ち上がり譲ってしまった以上、このまま「戦いにいく俺が立っている、本当は座りたいのに。このままじゃ1週間もたないかもしれないよ」という様をまざまざとご老人の前で見せつけるのは俺のポリシー上嫌味このうえないことであり、そんな戦士に育てた覚えはないと軍曹からのお叱りを受けるはずだ。あぁ軍曹にそんなことを言わせるなんて俺もまだまだだ。よし、ひとまずあの空いている隣のスペースへ突入だ、侵入成功、つり革獲得、ブリーフケースも・・・おい、誰だよ網棚のこの鞄はよ、席で寝てるこいつか?手ぶら、ではないようだがこの足元の紙袋だけだからやはりこいつの鞄か、というか紙袋を足と座席の間にセットしないなんてどこの国の奴だよおいお前。

結局何を考えたかったのかわからなくなる。人間観察というのはそういうものだ。

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