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8.幸福である

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世界の仕組みを知って楽に生きるためのメッセージを
YouTubeで音声でもお届けしています。
音声のみなので、
ラジオのような感じで聞き流してください。
YouTubeにアップするにあたって、
少し体系的にまとめています。
このnoteは、文字起こししたものです。

こんにちは、
世界の仕組みを知って楽に生きる
メッセージをお伝えしています、
maikoです。

今日は、
私たちの本質は幸福である、
ということについてお話します。

今までのメッセージの総まとめのような形で
お話ししますので、
よろしければ最後までお聞きください。

さて、
幸福というのは、幸せのことで、
充分満ち足りている、
不足や不満や不安がない、
ということです。

そして、
思い描いている状況は人それぞれですが、
皆が自分の幸せを望んでいる、
ということは言えると思います。

ここで、もう一度、
この悟りやノンデュアリティのメッセージの
全体像について、お話します。

まず大前提として、
悟りやノンデュアリティの幸せの話は、
世間一般の幸せになるための話と、
決定的に異なることがあります。

世間一般の幸せになるための話は、
それが、
医学・心理学・勉強法・ビジネス術・コミュニケーション術
といった行動のレベルであれ、
引き寄せの法則・潜在意識の書き換え・思考のコントロール
といった思考のレベルであれ、
この現実を望むようにコントロールして幸せになる、
つまり、
自分にとって都合の悪い、
病気やトラブルを取り除き、
自分にとって都合の良い
人間関係やお金などを手に入れる、
という話です。

一方、悟りやノンデュアリティの幸せの話は、
目の前の現実がどんな状況であったとしても、
満ち足りている、
という話です。

自分の状況が変わらないのに、
どうしてそのまま幸せが可能かというと、
自分だと思っていたものが自分ではなかったという、
そもそもの前提の勘違いが発覚し、

そして、本当の自分は、
個別に分離したものなど何もない、
たった1つの存在そのものだったと
知るからです。

つまり、
世間一般の話が、
不満・不足の状態から”幸せになる”という話
であるのに対して、
悟りやノンデュアリティの話は、
そもそも不満・不足はなかった、
”元々幸せだったということを思い出す”話、
とも言えます。

全体像の話を続けます。

ですから、
悟りやノンデュアリティの話は、
間違った自己認識から正しい自己認識に導く話です。
そして、正しい自己認識をするためには、
まずは正しく世界を認識する必要があります。

ここでいう正しいとは、
真実の、ありのままの、という意味で、
この世界の真実の姿・仕組み・法則を
真理と言います。

真理を知識として知ったからと言って、
即ありのままの世界を認識できるかと言ったら、
そういう訳ではないし、
逆に真理を知識として知らなくても、
自然と分かる人もいますが、
真理が本当の意味で理解できると、
正しい自己認識ができるようになります。

そして、この正しい自己認識、
本当の自分というのは、
何か新しい自分、別の自分、
になることではなく、
もともとすでにそうであるので、
勘違いしていた自分が消えることによってのみ、
認識が可能になります。

ですから、
悟りやノンデュアリティの話では、
真理・本当の自分=真我の話だけではなく、
勘違いしている自分、自我の特性・習性などが
語られます。
それは、例えば、
「自分がやっているという思い」や、
「自分の思い通りにコントロールしようとする思い」
です。

そして、ある時、
例えば映画館で、
ずっと映像に夢中になっていて
それまで全く気づかなかったのに、
その奥の白いスクリーンにふと気づく時のように、
目の前の現実で起きていることは
表面的に移り変わっている実体のないもので、
そのベースのいつも変わらない存在に気づきます。
そして、その存在こそが本当の自分だと知ります。

ただし、ここで、
それに気づいている自分、
本当の自分・真我というものを知った自分、
というのは、実は自我です。

そのため、ある段階においては、
真我に意識を向けているとき
これを瞑想と言ってもいいかもしれませんが、
そのときは本当の自分であるのに、
また目の前の現実のあれこれに
注意・関心がそがれると、
元の個別の自分に戻ってしまう、
という感覚が起きることがあります。

これらは全て自我の視点の話です。

実際には、
”本当の”と言っているからには、
いつでも本当の自分なはずなのに、
なぜ自我の視点ではそうなるかと言うと、
この世界は、
自我の視点の幻想ですが、
自我は、
意識したものを見て、
意識したものを受け取り、
意識したものになる、
という法則があるからです。

この仕組みはとても大事なので
改めて詳しく説明します。

この世界や自我は、
ある時間・空間・視点で切り取った一側面
という意味で実体ではなく幻想ですが、
一側面ではあるという意味では、
実体でもあります。

例えば、
形を自由自在に変える
粘土みたいなものがあったとして、
ある一瞬、完璧な球形になったとして、
それをある視点から見ると、円形ですよね。
その円というのは、錯覚とも言えるし、
その実体の姿として間違いではないのだから、
実体だとも言えますよね。

他の例えでは、
よく真理の話で例えられるのは、
海と波の関係です。
波は、波という物質がある訳ではなく、
実体のない表面の動きにすぎない、幻想とも言えるし、
波は海そのものであるとも言えます。

唯一の実体である
存在そのものは、
全ての可能性を含んでいますから、
私たちが、
そのどこに意識を向けるかによって、
世界に現れてくるものが変わります。

自我の視点で言うと、
時間と空間は、所与の条件ですから、
かなりのことが
それにより何が起こるかは決まっていて、
でも個別に何に意識を向けるかによって、
世界は変わるということになります。

実際には、
何に意識を向けるかも、
コントロールの範囲外で、
全て自動で起きてくることです。

ここで、
ある時は本当の自分であったり、
ある時は個別の自分になったり、
するように感じるという話に戻りますね。

この、本当の自分であるというとき、
真我に意識を向けているので、
真我の本質に触れ、
その本質が現れているということです。

真我をテーマにしたシリーズで
私がお伝えしてきたのは、
そういうことです。

ここで、自己の探求は終わりです。
本当の自分を知りました。

あとは、
「ただ、存在する」
それだけです。

純粋に、子どものように。

今までお伝えしてきたこと、
全部忘れてくださって大丈夫です。
理論・言葉・イメージといった知識は、道具です。
道具はあくまで用事を済ますまでの道具であって、
用が済めば、もう不要、
どちらかというと邪魔なのと同じことです。

自我の視点では、
本質の一面しかとらえられません。
全て満たされた幸福をとらえることはできません。

私が意識を向けるのではなく、
私が本当の自分に気づいているのではなく、
「ただ、存在する」とき、
私は存在全てに溶け去り、
存在が全てに満ち満ちて、
そこには
意識しているものも
気づいているものもおらず、
意識だけが、気づきだけがあります。
そして、ただ幸福だけがあります。

存在が全てになり、
幻想と実在の区別もなくなり、
有と無の区別もなくなります。

純粋に、ただ、存在する。

祈りや感謝や赦しも超えた、
こういう感覚を、
愛だと言う人もいますが、
私がここであえて言葉にするなら、
「あるがままであれ!」です。

さて、これで、
【真我】真に生きると題して、
お話ししてきたシリーズは最後となります。
いかがでしたか?

この世界がリアルで、
個別に存在しているという
自我の立場で言っても、
幸福の探求は大事なことですよね?

なぜなら、
自分が幸せでないと、
他人のことなんて構っていられず、
他人を幸せにすることができないからです。

そして、自己の探求は大事なことです。
本当の自分を知らなければ、
自分が幸せになることなんてできないからです。

だから、真理の探求は大事なことです。

私が何をしなくとも、
すべてが幸福の探求・自己の探求・真理の探求に
つながっていますが、
本当にみなさんに、
この世界の仕組みを知ってほしいと、
心から願って、
この音声を作ってきました。

真理を学ぶ上では、
ヘルメス・J・シャンブさんの
「知るべき知識の全て」という本をおすすめします。

そして、
ただ、存在する、
純粋に在る、
真我にとどまる、
ということについては、
ヘルメスさんが、
ナチュラル・スピリット社の
オンラインコラムで紹介されていた、
「アシュター・ヴァクラギーター 真我の輝き」
という本をおすすめします。

皆さんもぜひ読んでみてください。

また、
今後もお話したいことができたら、
世界の仕組みを知って楽に生きるメッセージを
お伝えしていきますので、
よかったらチャンネル登録して聞いてみてくださいね。

また、今から執筆活動に入って、
本という形でも、
皆さんにメッセージをお届けすることを考えていますので、
そのときにはまたお知らせしたいと思っています。

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