見出し画像

富岡町夜の森の「家びらき」に参加した、個人的なモノローグ

私が彼女に出会ったのは、彼女が高校生の時だった。
頭の上に「ハクビシン」を模ったぬいぐるみを乗せて、「数年ぶりに帰った私の家には、ハクビシンの家族が棲んでいた」と語った、演劇の舞台の上で。

「いつかまたここに『家』を建てたい」
「だから更地になっても、定期的に草刈りをしているの。綺麗でしょう?」
彼女の家族は、住んでいた家を解体した。
更地になった土地を、彼女は誇らしげに案内してくれた。

2011年4月、町の全域が「警戒区域」となって、許可のない立ち入りが出来なくなった富岡町。
区域が再編され、2017年に一部の避難指示が解除されても、2020年に「特定復興再生拠点」が設定されても、彼女の実家のあった夜の森北地区は、未だ立ち入りができないエリアだった。

その間に、私は何度も彼女に町や彼女の家を案内してもらったし、古里に対する思いも聞かせてもらった。
時には涙とともに、でもある時からは笑顔とともに。

自分の古里を、震災の前後という区切りでなく、震災前、自分が生まれる前から脈々と続いて来た歴史や時代背景(そこには原発誘致の歴史も含まれる)を掘り下げ、自分の言葉で語ること。
それが彼女を笑顔にしていったんじゃないかと、私は感じている。

2023年4月1日、ようやく彼女の家に、誰でも入れるようになった日に、1回目の家びらきが行われた。
祝福するように快晴で、彼女を含む、夜の森に住む人たちがこよなく愛する桜並木はちょうど満開だった。

今日は2回目の家びらき。
彼女は「何度でも壊してまた建てる、そんな場にしていきたい」と話した。
家は永遠ではない。
そのことに悲しみや諦めではなく、何度でも再生できるという意味を与える。
素敵だなと思った。

これから、どんな「家」が立ち、壊して、また生まれるのか、近くに暮らす1人として楽しみにしたいと思う。

彼女からの、家びらきへの案内はこちらから

ご支援いただいた分は、感謝を込めて福島県浜通りへの取材費に充てさせていただきます。