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タッチする新年

「トイレで、うんちとか、おしっことか、バイバイできるけど、タッチはできないよ」

新年早々、トイレの話題ですみません。
これは、人との別れ際に「タッチ」をするのがお気に入りな所長(2歳半)が昨年末に残した名言です。

さてさて、あけましておめでとうございます。

今年は平成という時代が一区切りを迎えるようですね。
個人的には、20代から30代になるときには生活に大きな変化がありましたが、30代の最後を迎える今年も1つの転換点になりそうです。

私は「私のため」と「誰かのため」が重なる状態が理想と考え、そんな暮らし方を実践するようにしてきました。
一方で、家族ができたことで、「私」の範囲自体が大きく変化して、今も変わりつつあります。「私」が「私たち」になって、「私たち」と「誰か」との境界も揺らぎのあるものになっています。

たとえば、マイマイ計画のベースとも言える「こうもりあそびば」のこと。
所長(息子)といっしょにあそびばを開けることも多くなって、あそびばの意味するものが、みるみる変化しています。

私自身が好きなこと、やっていたいことを忘れずにいられる「あそびらく」活動は「私のため」に始めたようなところがありました。
ところが、今は、所長がいます。
あそびばで所長と遊び、それ以外の時間も所長と遊ぶことになります。あそびば以外の場でも所長がいれば、「あぁ、こんなことやりたいな」という発想が生まれたりします。
結果的に、「こうもりあそびば」でなくとも、自分自身の好きなことを、遊ぶ心を忘れずにいられるようになりました。

もともと大きな自然が少なく、子どもの多い住宅地であそびばを開くことには、「誰かのため」の積極的な意味があると考えていました。
でも、「私たちのため」のあそびばとしては、できることの限界が見えてきてもいます。所長や妻がもっと暮らしやすい環境、森や山や田畑が今よりもっとすぐそばにある環境で暮らしたいという想いが生まれてしまうのです。

一方、これまで「こうもりあそびば」を通じて育んできた子どもたちや近所の方たちとのつながりも、かけがえのないもので、家族に近い気持ちもあります。
そんな状況をどう越えていくかが、今のあそびばの大きな課題です。

「こうもりあそびば」は一例で、始めから私たちの活動として始めた「小さな脱線研究所」の活動も、あるいは私個人のマイマイ計画や作家としての活動も、新たなフェーズに入っていると感じています。
今年は活動拠点を移転することも視野に、小さな脱線研究所としての活動も、停滞がちだった作家としての活動も積極的に動いていくつもりです。
今まで想像するだけだったことを、実現する年にしたいと思っています。

別れ際のような、何か関係に変化があるとき、その人とタッチするっていいなと思います。大人になるとあまりしなくなってしまうけれど、一瞬触れ合うだけで、心に温もりのような何かが残ります。
今年の私にとって、「タッチ」は鍵になるかもしれません。

いろいろと、予期していないような変化だってあるかもしれませんが、これからもどうかマイマイ計画、小さな脱線研究所、そして私たち家族を、あたたかく見守ってくださいますようお願いいたします。

たーっち!

                             2019年1月
                             野島智司

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