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きわめて私的な読書記録②

 トップ画像はもうすぐ咲きそうな雪割草。
 さて、記録できなかった幾冊かの本について簡単に記録。

 まず最初は、ミランダ・ジュライ「最初の悪い男」

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 これはもう、去年の夏頃読んだのではないだろうか。強い印象を残す本だったのに、書きたいことをまとめることができずに放置してあった。

 文章にとにかく勢いがあって、某ネズミーランドのアトラクションで疾走しているような、神経をグザグザ、ヒリヒリに痛めつけられているような文体が、怖いのに読まずにいられない。(これは訳文だから、きっと名訳なのではないだろうか?一部だけでもいいので、原文と並べて読んでみたいと思わせる。)
 わたしは、小説の類を読むときに「文体」にかなり影響される。例えば前回記録した「聖者のかけら」について白状すると「平易ではあるけれど、雰囲気がなくて味気ない」という印象。中世ヨーロッパやキリスト教について学べるとか、謎解きとかがあったので、ようやく読めたのだ。ストーリーだけでは満足できないのがわたしで、それは単にわたしの趣味の問題なのだけれど・・。 

 主人公は43歳独身のシェリル。職場の上司フィリップに恋をしているのだが、その恋を発展させようとか考えてはいない。妄想でできた自分だけの世界の中で、それなりに平和に暮らす日々。ところがある日から、20歳の美人で巨乳で、足の裏が臭いww女性ケリーと共に暮らすことになり・・・

 へとへとにさせられて、最後に力いっぱい、抱擁してくれるような・・・そんな本である。諸田玲子(毎日新聞)

 ・・と、書いてあった帯の言葉がわたしにとってもぴったりだった。


 幼い頃のトラウマから抜け出られなくて、妄想の中だけで生きていた彼女が、現実世界へと自分で踏み出していく。その過程がなかなか辛くて・・でも、彼女に共感して感情移入して読み進む。読ませる文章だから。ハードだけれど読み続ける・・。

  こうして記憶に残ったイメージだけで綴っているうちに、また読み返したくなってきた。

 2番めは、noteで何回か紹介している緒真坂さんの最新刊「君に届かない」

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 noteでのご縁から、緒さんの作品はほぼ読ませていただいた。(残すのは郵便小説シリーズが半分ちょっとだけ)最新刊も楽しめた。大手出版社から発行される著名な作家の作品もよいけれど、身近なところでがんばっている方の作品もよいものだ。
 わたしが緒真坂さんの作品が好きなのは、やはり文章のせいだと思う。時折きゅんとなる瞬間がある。決して声高に叫ぶわけではなく・・半ば諦観したような雰囲気は今回も感じて、「あ・・緒ワールドだ」なんて思った。
 そして、音楽とか、食べ物とかファッションとか・・時代感かな。ちょっとノスタルジックだ。そしてとびきり美人とかキュートな女の子が登場する。そしてわたしが好きなのは、読書好きの女の子とか、元気なぶっ飛んだ女の子かな・・。
 今度は、ちびちびと残りの郵便小説を読みたい。

 3番目は小野不由美「十二国記」の最新刊4冊(≧▽≦)💓

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 もう長いこと待ちわびた続編。予約してゲットして、読めるときまで大切にとってあったのを、2月に入ってから読み始めて・・2週間かけて(断続的にしか時間がとれなかった)ようやく読了。最後の方は睡眠不足でヨレヨレになりながらも、中断できなくて読み切ってしまった。
 中国をモデルにしたような架空の国の物語。ファンタジー小説と分類されるらしい。(似たような感じの小説を読んだことがあって、その方もかなり有名な作家さんなのだが、わたしはそれほど夢中にはなれなかった。)でも、分類とかどうでもよい。そして、そのジャンルで他にもたくさんの名作があるのかもしれない。それはどうでもよい。アニメ化もされているみたいだが、それも、わたしにとっては、どうでもよい。小野不由美さんが唯一無二の存在なのだ。他にも「屍鬼」という大作があって、(ファンタジー小説ではなく、ホラー小説と言えるかもしれない)わたしにとっては忘れられない作品
 「十二国記」は地の文が難解な漢字、言葉を多用してあって、情景描写が美しく、その雰囲気が大変私好みだ。つまりストーリーを追うだけでなく、言葉を味わいながら読むことの喜びすべての瞬間に体感することができるのだ。

 4番目は「ドナルド・キーン自伝」

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 去年からドナルド・キーンさんが気になって、少しずつ手に取っている。これは2冊目の本。
 自伝と呼ばれるのはこの一冊だけだったので、購入。文庫なので、お財布にも優しい。(電子書籍は余程の事情がない限り手を出していない。)
 自伝を買い求めたのには理由がある。それは、第二次世界大戦時のハワイにあった日本人捕虜収容所で、捕虜と共に楽しんだベートーヴェンのエロイカ・シンフォニーのことを知りたかったからだ。それも、誰がどこの楽団を指揮したのか、いつの演奏かを調べたかった。
 K市のドナルド・キーン・センターに、古いレコード盤が展示してあったのに、連れに遠慮してよく見て来なかったのが悔やまれる。
 そして、どきどきしながら読んだけれど、その場面についての叙述は簡単で、新たなことは何も分からなかった。
 こうなったら、今度は是非ひとりでK市に行って調べて来なくては・・と決意した。

 そして、ここでまた文体について。
 この本は原文が英文で、それを日本語に訳したものだった。どうりで、ドナルド・キーンさんの古典的で美しい日本語と違って情緒がなく・・・正直落胆した。ドナルド・キーンさんが最初から日本語で綴った本も、校正で直されることがあるらしいが(そういえば、前回記録した著書の中で、ちょっと不自然な文章を見つけた)、できたら訳文でない本を読みたいと思った。

以上でメモ終了。
今回は本文からの引用はエネルギー切れで割愛。
後で補足するかもしれない(February 26th.)