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苦悩するインテリ貴族で同性愛者だったLuchino Visconti di Modrone(モドローネ伯爵ルキノ・ヴィスコンティ)

 ヴィスコンティ監督の「家族の肖像」を観た。これは「ルードヴィヒ」ほど長過ぎず鑑賞しやすい。・・・「山猫」は「ルードヴィヒ」よりさらに長いと聞いたけど・・・(-_-;)

 「ヴェニスに死す」「ルードヴィヒ」「家族の肖像」と鑑賞してきて自分なりに感じたことや調べたことをメモしておこう。

①貴族であるということ

 ルキノ・ヴィスコンティ監督(1906~1976)はイタリアの貴族出身で、14世紀に建造された城で、美術品に囲まれて幼少時を過ごしたという。それが彼の美学の基礎となっているのだろう。生まれたのは20世紀初頭だが前世紀までの伝統的な美術を愛し、世紀末的な退廃美に傾倒していたことが窺われる。
 これはわたしが観た映画3本に限った感想なんだけど、わたしの日常からはかけ離れた豪奢なヨーロッパの城や邸宅の造り、内装の素晴らしさには目を見張ってしまう。時代は移り変わろうとも、こういうものは残していきたいと監督は願っていたのではないだろうか。生まれ育った環境というのは人間形成に大きな影響を与えるものだね。それも老齢になってから顕著になってくるのかもしれない。
 「ルードヴィヒ」の主人公、バイエルン王ルードヴィッヒ2世は、美しいもの、美しい音楽に対しては理解者で擁護者だったから君主としてはダメ王でも、その遺産はドイツの至宝となって残っている。美しいものを愛し、守るというところがヴィスコンティ監督が共感したところでもあると思う。

②同性愛者であるということ 

 ルキノ・ヴィスコンティ監督は自らがバイ・セクシャルであることを公言していたそうだ。バイ?もうはっきりとゲイだと思う。「ヴェニスに死す」では美少年にメロメロになって理性が吹っ飛び、しまいには命落とす老芸術家。美少年を熱く見つめていたのは監督でしょう!・・・とすぐに感じた。

 「ルードヴィヒ」はやはり同性愛者だ。美しい青年たちを侍らせ、自分を偽ってエリザベートの妹ソフィーと結婚することはできなかった。

 「家族の肖像」の老教授(名前がないというのも面白い)は豪邸に住み18世紀に流行した家族の肖像画を収集している。数人の使用人はいるが、一人暮らしで家族はいない。それはなぜかというと・・・。回想場面に現れる結婚式のベールを被った美女(多分妻だった人)は亡くなったか、別れたかした元妻だろう。また慈愛に満ちた笑みを浮かべてソファに座っている女性は亡き母親らしい。つまり老教授は同性愛者なのだ。
 こんなシーンがあった。
 実生活でパートナーだったヘルムート・バーガー(フリードリヒ役もやった)演じる富裕な実業家婦人の愛人コンラッド。そのコンラッドが襲われて怪我をした際に匿って看病した老教授。コンラッドの全裸シーン!・・・
うわっ\(◎o◎)/!もう老教授の視線はヴィスコンティ監督の視線だ。

 貴族だから家を継承する子孫をもうけることが要求されるが、それがどうしてもできなかったヴィスコンティその人と同じだ。

③苦悩するインテリであるということ

 わたしは晩年に近い頃の作品しか観ていないが、ヴィスコンティ監督は当初共産党員でイタリア・ネオレアリズモ運動に賛同していた。マルクス主義に傾倒したのは、貧しい人々を救いたかったからだ。自分が貧しかったからではなく、生まれも育ちもよく、高等教育を受けたインテリであるが故に、理論に共鳴し理想を掲げて作品を創造していたのだろう。若い頃の作品は貧しい人々の暮らしを描いたものだったらしい。(機会があれば鑑賞したいけど、困難だと思われる)
 当時の世界情勢やイタリアの歴史について勉強不足なので、まだ記録できるような内容ではないのだけれど・・。理想と現実は次第にズレていくのだろう。イタリアにはナチを代表とする極右ファシズムをまるごと受け入れたりしない土壌があったというか。共産党の存在があったのだが(ドイツとはちょっと違うね)、国が貧しい人のために何かしてくれるようにはならなかったということか。次には資本家が力を得てくる時代となってしまった。
 「家族の肖像」で、老教授の邸宅に押しかけてきた富裕な夫人の夫は資本家であり、極右勢力とも通じているという設定だ。そして夫人の愛人コンラッドは、もとは芸術への造詣が深い大学生だった。しかし極左学生運動に身を置くようになり、お尋ね者の身の上という設定。インテリ極左運動家が極右勢力とつながる大資本家夫人の愛人となり果てる・・・。いや、これは苦悩が深いと思う。そして、これはそのままヴィスコンティ監督の苦悩なのではないかと思った。
 そしてコンラッドは教授に遺書のようなものを残し、爆死する。老教授も弱って寝込み、息を引き取る。
 ああ・・教授は苦悩を抱えたまま旅立ったということか。切なくなった。

「家族の肖像」はヴィスコンティ監督の死後1978年に日本でも公開されて、ヴィスコンティ・ブームとなったそうだが、これはなぜか・・考えてみたい気がしている。

 好きな映画かと問われれば「好きというわけでもない」と答えると思うのだが、なぜか気になる監督の一人だ。ルキノ・ヴィスコンティ監督。

 他にも記録したいことがあるけれど、エネルギー切れた(-_-)zzz