アレハンドロ・ホドロフスキー「リアリティのダンス」素晴らしかった!

寝不足だってのにうっかり某クラウドをふらぁり~と覗いて、そのままどぶ~~ん\(◎o◎)/!「虹泥棒」以来、待望のホドロフスキーだ。
 これはホドロフスキーの自伝的な映画だった。なんと続編が公開されているというので、わたしは心の平静さを失っている(こちらは当分鑑賞のチャンスはないと思われる・・・涙)
 「リアリティのダンス」では、この金髪の少年(ウィッグを被っている)が主人公で、ホドロフスキーの幼い頃ということになっている。少年の父親役はなんとホドロフスキーの息子。そしてこの少年に寄り添っている老人がアレハンドロ・ホドロフスキーそっくりで、やはり息子さんの一人か、またはご本人なのかも・・・。キャストの名前にホドロフスキーの名前がいくつも並んでいたので、ひょっとしたらこの少年はお孫さんかも・・・。ホドロフスキーに詳しい人なら知っているかもしれない。

 1920年代、ロシア系ユダヤ人として軍事政権下のチリで生まれたホドロフスキー。舞台は実際に彼が住んでいたトコピージャの街。父親はガチガチの共産主義者で地下活動のメンバー。息子に厳しすぎるくらい厳格に接する。それはもう横暴で暴力的で、今なら完全に虐待で通報されるレベルだ。母親はオペラ歌手になりたかったが、父親が営む洋品店で売り子をしている。この母親はなんとオペラのように終始セリフは声楽♪息子は自分の父親の生まれ変わりと信じて、異常なほど息子を溺愛していた。事実はどうだったのだろう。かなり近くて遠いかもしれない。ロシア系ユダヤ人で比較的に裕福な暮らしをしていた少年ホドロフスキーは、学校ではいじめられていた。両親との緊張感を伴った不本意な関係。いろいろあっただろうが、例の美しく幻想的な映像で、現実の悲惨さが昇華されていくような感覚に陥る。アレハンドロは両親を赦しているのだろうな、きっと。

 サーカスの人たち、鉱山の事故で腕や足などを失った人たち、小さい人、同性愛者、疫病で隔離された人たちの集団、書き割りの登場人物。海岸に打ち上げられた大量の鰯。群がる海鳥、群がる群衆・・・。少年の青い服、赤い靴。
 悲惨な出来事、厳しい現実もたくさん存在しただろうに、夢のような幻のような映像と美しい音楽で天上の許しをもらったかのような感覚に陥る。これがホドロフスキーの魅力なのだろう。
 「虹泥棒」のラストで泣けて泣けてどうしようもなかったが、この映画でも熱いものがこみ上げてくるのを止めることができなかった。
 予告映像にナレーションが入っているが、ひどく胸を打たれる。
 
君と私は決して現実ではない
思い出となるだろう
私たちは何かの夢
幻想に身を委ねなさい
生きるのだ
未来の君はすでに君自身だ
探し物は自分の中にある
苦しみに感謝しなさい
そのおかげで
いつか私になる


是非とも、もう一度観たいものだ。