紫式部日記第100話かからぬ年だに御覧の日の童女の心地どもは、

(原文)
かからぬ年だに御覧の日の童女の心地どもは、おろかならざるものを、ましていかならむなど、心もとなくゆかしきに、歩み並びつつ出で来たるは、あいなく胸つぶれて、いとほしくこそあれ。さるは、とりわきて深う心寄すべきあたりもなしかし。

(舞夢訳)
(若宮ご出産などということがない)普通の年であったとしても、ご覧を賜る童女たちの心理は、どうにもならないほど緊張を強いられるのに、(今年は)普通の年より増して緊張するのだから、童女たちの緊張はどれほどのことであるかと、心配になって見ておりますと、順番に並んで登場してくる様子は、どうしようもなく胸がドキドキして、可哀相な気持ちになってしまいます。
ただ、そうかといって、特別に深く応援する舞姫がいるということでもないのですが。


例年とは違う、(将来の帝が誕生したというおめでたい年)の舞姫役をする、ということは、その舞姫当人と介添え役(それを出した貴族を含めて)、実に緊張を強いられる。
普通に美しく踊って当たり前、ミスでもしたら、自分だけでなく、多くの関係者が恥をかき、いつまでも噂をされるのだから。(今の京都社会にも、それは、しっかり残っている。悪い噂は、何時までも残る)

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