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小学生時代の『好き』を考えたら、本能と所有欲と承認欲求が見えてきた

しばらく、『好き』という感情を深く考えてみようと思っています。

今日は『好き』の種類を考えてみます。

◆前提

前提①

ここで語る『好き』は、恋愛の『好き』です。


前提②

『好き』を考えるといっても、他人ひとの心は分からないので、僕の心を探ってみます。
潜在意識を探る作業なので、どこまで考えたところで所詮しょせん想像でしかなく、信ぴょう性の高い見識などではありません。


前提③

僕は、小学2年生から高校2年生まで、【可愛い女子脳内ランキング】を定期的に開催していました。
「今、1番可愛い女子は誰かな」
という思考を、ひとりでコッソリ行なっていたのです。かなり真剣にです。

脳内ランキング開催の目的は、そのときの1位を明確にしたかったことと、1位になりえる女子を見逃さないことでした。
なので、1位と2位、多くて3位までを決めるだけでした。


◆小学2年生

なぜか、同級生しか興味がありませんでした。本当になぜなのでしょう?
無意識に、好きな女子とは同級生から選ぶものという固定観念が強固につくられていました。

僕は、可愛い女子が好きでした。
2位にはキレイな女子がランクインしたり、別な可愛い女子がランクインしたりしましたね。
言語化できていたかは分かりませんが、明確に「可愛い系」と「キレイ系」というカテゴライズをしていました。

これは『思考』なのか?
『好き』だから感情なのか?

本能なのか?

可愛い女子と仲良くなりたいとは思っていましたね。
できれば独占したいという思いも、少しあった気がします。

笑顔を近くで見たかった。
可愛いから。

ん?
可愛いから。
仔犬がメッチャ可愛いのと同じかな?

いや、仔犬を可愛がる少年の僕の心の奥には『上から目線』があります。
可愛がってあげる・・・、というような気持がある……。

対して女子には、そんな上から目線の感情はありません。

結論

この『好き』という思考or感情は、良く分かりません。
本能としか言えない気がします。


◆小学5年生

可愛い同級生の女子が好きでした。

もう1人の可愛い同級生は、好きではありませんでした。
気が強くて、それが言葉や態度に出る女子だったのです。

田舎の中の田舎に転校して、同級生の女子は12人しかいません。

このころは、脳内ランキングを定期開催する必要がなかったんですよね~。
不動の1位の美少女に、僕は告白するなんて考えられませんでした。

微妙に、ホンの少しだけ避けられている、そんな気がしていました。
嫌われたくなかったし、告白したとたん冷たい視線が向けられるような、そんな恐怖も想像している、そんな少年の僕が見つかりました。

このころの僕は、自分が1番可愛いと思う女子を好きになるのが当然と思っていました。
また、夢中になって「その子のことしか頭にない」なんてことはなかったのです。まだ、性に目覚めていないのかな?
男子と遊ぶ方が重要でした。

結論

この『好き』という気持ちは、
1番キレイな宝石いしを自分だけのものとしたい
という、所有欲のようなモノかもしれません。

その所有欲はそこまで強くはなかった、というような感じでしょうか。


◆小学6年生

僕は、未来少年コナンのラナが好きでした。

顔ではありません。
主人公のコナンを信じ抜く、そんなラナが好きでした。

これは、「人は、自分を好きになってくれる人を好きになる」という原則の影響でしょうか。

小学6年生の僕は、自分を「応援してほしい」「信じてほしい」「肯定してほしい」と思っていたのでしょうか。

結論

この『好き』という気持ちは、承認欲求を満たしたがっているのかも?


◆参考までに

未来少年コナン


ラナ

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◆〆

ちなみに今の僕は、妻のゆかりちゃんが大好きです。



おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第643話です

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