フランス、コロナウィルス対策で外出禁止になるまで(備忘録)

普段の日常生活がある日突然止まる。

そんなことがまさか私の身に降りかかるとは思ってもみなかった。そして誰かがそんな力を私が暮らす社会に対して発揮できるなどとは想像したことすらなかった。私は平和しか知らない世代/社会の人間。環境問題とか貧困、本当は私の生きる社会にもいろんな問題が目の前にある。けれどそれを知らないふりして生活できてしまう社会で生きてきた。

それがあっという間に、まさかのウイルスのせいで、自宅から出ることすら自由にできない生活となった。

===

2月はどうやらイタリアがコロナウィルスで大変なことになりつつある。という程度。しかし、フランスでも仕事で関わっていたイベントなどが次々とキャンセルになるなど、まずは仕事面で先に何があるのか不透明な感じが続いていた。

3月12日(木):マクロン大統領のテレビ演説。どこかでもしかしたら、と思ってはいたけれど、やはり驚いた、全ての学校の閉鎖。小学一年生の双子がいる我が家。テレビの前で思考が停止。

3月14日(土):そしてバタバタとあっという間に学校最終日を迎えた。翌週から始まる家で仕事と自宅学習という、どう考えても矛盾していることをどうやって実践したらいいのか、友人宅でご飯を食べながら一緒に途方に暮れていた。すると20時頃、どうやらレストランやバー、映画館が全て閉鎖されると決まったらしいという情報が入る。慌てて大人たちはテレビをつけて画面に見入る。「今夜の24時から全て閉鎖」と。移動もなるべく控えるように、という内容だった。

3月15日(日):次の日は誰もが外に出たくなる春日和、ピクニック日和。もともと友人たちと子供達を大きな公園で遊ばせようという計画があった。当日の朝も、これは公共交通手段を使わずにマイカーであればいいよね、映画館のように閉じた空間でないのだから許される外出なのでは?と、若干疑問を抱きつつも、「大きな公園、あるいはその横の森ならそんなに人ともすれ違わないだろう」ということでそのまま計画実行。

蓋を開けてみたら、みんな同じことを考えていたようで公園はものすごい人だった・・・ぽかぽかの暖かい日差し。久しぶりにコートも脱いで、子供達は歓声を上げて公園を走り回っていた。なんだか前日の夜は不安すぎてお腹がギュッとして、何かに圧迫されているかのような気分だったのだが、呑気な(気がしただけかもだが)他人の姿を見るだけで少しホッとしたのも事実だ。近代社会の人間たちは不死身だと思っている。あるいは死が目の前に迫っていたとしてもそれを無視する力があるんだ、というようなことを言っている人がいてなるほどと思う。

友人たちとは、どうせ学校もないのだから水曜日にまた晴れたら一緒にどこかの公園で遊ばせたらいいよね、と言い合って、軽く手を振って別れる。(こちらの挨拶のキスや握手はここしばらくさすがに避けていた)

そんなこんなで帰宅。実はこうして政府が厳しい規制を発表し続ける中、全国市長選は行うという少々矛盾した決断が下されていた。というわけで日曜は夫は朝、投票へ行き、夜は不安だな、と言いつつも開票の手伝いに赴いた。しかし帰ってきて、「噂を聞いた。火曜には完全に外出禁止令が出るらしい」と言う。そんな・・・とまたまた緊張が走る。

3月16日(月):自宅で子供達をみながら仕事をする初日。学校閉鎖を聞いたときは、自宅がカオスになるとしか思えず思考が停止していたが、前日の息抜きもあったので少し落ち着く余裕があり、子供達にはリズムが必要だ、と思い至る。というわけで家でも時間割なるものを作成。想像以上に子供達の反応がよく、少しホッとする。例えばいつからいつまで勉強、その後遊び、それから読書したらおやつ、などと、全体が見える枠組みがあると子供達も過ごしやすい。もちろん、親にとってもそうだ。そうしなければ退屈する子供達に手を焼いて長期にわたるこの試練を乗り越えられない(想像するだけでゾッとする)。適宜に公園に連れて行ってなんとか乗り越えるしかないと思っていた。

ところが。夕方ごろに全ての公園は閉鎖されることが決まり、夜にまた大統領演説があると発表された。夜8時。緊張しながら神妙な面持ちで滅多につけないテレビの前に座る。

画像1

"Nous sommes en guerre " 我々は戦争に入った。この言葉を5回も繰り返す演説だった。そして翌日火曜日の12時から、外出禁止となった。食料品を買う以外は基本的に外出はダメ。ちょっとの散歩はしてもいいが、一人ですること。全ての外出は正式な書式に署名をしたものを持ち歩いていなければ罰金。街中で警官が見回りをする。などの内容が次々とその夜に発表された。

画像4

大統領は演説の中で日曜日のことにも言及。「まるで何事もないかのように多くの人が公園で集っていました」と。まるで自分たちが名指しで大統領に怒られている気分になり、思わず小さくすみませんと言ってしまう。

まさかこの自由を謳歌するフランスで、ここまで大統領の演説が効力を発揮するとは。少し驚いた。人々はこの新しい状況を割と大人しく受け入れている印象を受ける。どの政党も現政権の判断を批判することなく、仕方ない、そうするべきだと受け入れている。SNSでも家にいることが人の命を救うという意見を多く見る。

画像2

3月17日(火):フランス政府から直接携帯に、大統領から外出禁止令が出ました、というメッセージが届き、驚く。別に政府に私の番号が知れ渡っているというわけではなく、携帯キャリアが政府からの要請によって全ての携帯にメッセージを送るという前代未聞のオペレーションを実施していたことが判明。

画像3

===

資格を取るために学校に戻っていた看護師の友人はこの非常事態を受け、現場に戻れと命じられた。まるで戦時中に駆り出される兵士のようだ。実際に病院では重病患者がみるみると増えているらしい。

全てしていたことをストップし、一つのことに集中する。日常が止まった。

このコロナウィルスという脅威は現代社会が構築してきた全てをあっという間に崩している。

国境を閉じるという決断が下され、外出も禁止となってしまい、人の自由は極端に限定的なものになった。そして市長選も結局1週間後に予定されていた第二回投票は延期になり、民主主義の土台をなす選挙も後回しに。「人々の生活に必要ではないお店」に関しては全て閉鎖が命じられ、食料品店、薬局、ガソリンスタンドなど以外は必要不可欠というレッテルが貼られて閉鎖。経済活動のほぼ全ては、命と天秤にかけられた瞬間に崩れ去った。そして最終的にこれらを実行する力を持っているのはやっぱり「国家」だった。

この数日であっという間に国境がくっきりとしだした。こんな脅威に対して国ごとに異なる政策、違うタイミングでの反応。

このように自分が今まで当たり前と思ってきた移動の自由がなくなった中で、親戚にも近所の友人にも、隣の家の人にも会えないという状況で、一番小さな家族という単位で過ごすことになる。今まで当たり前すぎて考えもしなかったことが逆にはっきり見えたりする。例えば、朝起きて着替えるという行為、そんなことについてもそこに何の意味があるのかがはっきりしてくる。極端に制限された生活。大統領の演説の中で、「(これを機会に)本質的なことの意味を考えてみてはどうでしょう」というフレーズがあった。

いつもの場所でいつもと同じように過ごしていたのに突然生活が180度変わる。この状況で社会が、子供たちが、自分たちが、どうなっていくのか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?